2012年に書いた記事です。
当時は動物愛護のこともいくつか書いていました。
数週間、肉を食べなかった時期があります。自分の体を切られ、当然死ぬわけです。動物にだって人間と同じように痛みや恐怖、自分の赤ちゃんをかわいいと感じる気持ちもあるだろうに・・・。食べられるなんて可哀そうと思い、できる範囲で取り組んでおりました。
今は肉食べてます。自分の限界でした。
肉は食べますが毛皮を買わなくなりましたし、バッグは自分から皮製品を選んで買うことはありません(買ってもらったものが皮だった場合は大事に使います。)
2012年の記事は文体が堅いですね。
肉を断って、と言っても出来ることを出来る範囲でゆる~くやってるだけなので、ベジタリアンとかそこまで厳格ではない。
牛や豚は哺乳類なのでどうしても自分の仲間のような気になってしまうのだ。
味そのものは好きなのだが。 畜産動物の現状を知り、またポール・マッカートニーさんの推奨する「ミートフリーマンデー」(月曜日は肉を食べない)に賛同し、無理のない範囲で肉を絶とうと思った。
とりあえず肉を買うのは週末のみにしようと本当にゆる~く決めた。 動物たちが苦しみの一生を終えるのだと知るまでは、気にも留めたことない。
焼肉は大好きだし、ほとんど毎日肉を食べていた。スピリチュアリズムや他の多くの宗教も肉食を反対しているのは知っていたが、「え?食べるためなのに?なんで?」と全くピンと来なかった。
しかしペットを飼い始め、動物にも人間と同じような感情があると知り、牛や豚を食べ物と見ることができなくなってしまった。自分のペットがあんな一生を送るのは絶対にイヤ。
かわいい牛や、豚の姿が想像できてしまうので、肉を買う人が減ると、悲しい一生を送る畜産動物も長い目で見ると減るのではないかと思う。
正直言うと外食では肉を食べていたし、頂いた肉などは食べていた。肉を買ったのは1回だけ家族で買い物をした時にレトルトのサムゲタンを買ったのみだ。
自分で料理するための肉は一切買わなかった。牛肉、豚肉、鶏肉、1ヶ月、食卓ではほとんど(頂いたものは出したが)見ていない。
しかもまだ家族は何にも気がついていない。 とりあえず魚やえび、貝などを多く出すようにしている。
魚介類も生き物なので同じように苦しむのでは?とも思ったのだが、私の料理の腕の限界と、畜産動物の現状を思い出すストレスに比べるとまだ軽いので、魚介類を断つのは今は無理なのだ。
魚だって同じいのちには変わらないのだけど・・・・。色々な生き物の犠牲の上に、生かされているのだなあと改めて感じる。 自分のできることをゆっくりとやっていこうと思う。