本当の自分、本来の自分、ありのままの自分を取り戻すと生き方はどう変わるのか?
自分の人生を生きるってどういう意味?
自分が他人と一緒にいる時でも一人でいるときでも
・素でいられる、自然体でいられる、変に疲れることがない。
・人に好かれたいがために自分をごまかしたり、不安だからとやりたくないことをやったりという恐れや不安からの行動をしなくなる。
・びくびくすることが無くなる。
シンプルですがそのような環境では自分が自分でいることができています。
また何か無理して自分を追い込んでやり遂げるというより
それが好きだから、心が満たされるから取り組む、
結果自分も満たされて他者にも喜ばれるという時に
自分の人生を生きているといえるでしょう。
自分の中の「神性」を発揮して生きるとも言えます。
「自分の人生」「神性」という言葉を使うとなんだか大げさに聞こえるかもしれませんが
やはり「今ここ」で目の前の状況や目のまえの人に心を開いて
自分の心をごまかさずに素直な自分でいるということだと解釈しています。
とてもシンプルで簡単に聞こえます。
しかし人によってはこれほど難しいことはないと感じるでしょう。
あるいは自分はいつもそのようにやっているつもりだけど
なぜか生きづらいと心の奥で違和感を感じている方もいるでしょう。
今ここ、に心を開くというのは自分で自分を受け入れることができていないと
とても難しいく感じることでもあります。
どうして生きづらいのか~それは自分の人生を生きていないから
私がこのことに気が付いたのは
やはり生死をさまよった時で
その時に初めて(実際は乳幼児期以来)
「あ、そうなんや。こうやって「今」「目のまえの人」に素直に思ったこと表現するだけで良かったんや。人生ってそうやって生きていけばうまくいくんや。
こんな簡単なこと今まで知らんかった。」
「そうか私は逆のことをしとった。他の人はみんなそうやって生きているように見える。なんてらくなんやろう。すごいらくやけど、今まで他の人が自然にできてることが私はできてなかったんか。」
と思いました。
特に子ども時代、教室で好きなことを言って騒いだり、天真爛漫にふるまうということができなかったので、そのようなことが平気で自然とやっている子は「生きて」いたんだなと思いました。
みんなは私よりも心を開いて「生きて」いた。
私は「生きて」いなかった。
他の人はみな「今ここ」で生きているように見えましたが、
実際は私のように「自分を生き切れていない」という人も多いのかもしれません。
生き延びるために他人や社会という周りに合わせる生き方をしてきたから
これはよく耳にすることですが
幼少時の育てられ方や学校での教育で
自分の本心を優先するよりも周りに合わせるよう教えられてきたからです。
つまりありのままの自分を出してはいけないと。
言いたいことややりたいことがあっても
ダメと言われて我慢し続ける。
その我慢がいっぱいたまった気持ちを
受け止めてもらえる機会が少ないと
無意識レベルで傷がついていきます。
その傷は自分で自覚できることもあれば
なかなか気が付かないこともあります。
たいていは何らかの形で現象化しています。
うつ病やパニック障害、強迫神経症、不登校やひきこもりなども
大部分は根っこがここにあるのかもしれません。
さらには糖尿病や過敏性大腸症候群、免疫疾患やがんなど身体的な病気も、
全てではないでしょうが、自分を生きていないことが原因かもしれません。
出来事の根っこは幼少期や出生時にすでに存在している!?
大きなトラウマとなった出来事や深く傷ついた体験が誰にもあるかと思います。
その根っこは意外にもすでに小さいころの子ども時代、あるいは胎児時代にあるかもしれません。
もちろん全てがそうとは言えませんが
解消されず心に残った感情、受け止めてもらえなかった感情は心の傷となり
大きく膨れ上がることがあります。
それが現象化すると身体的、精神的な「病気」になったり
人間関係のトラブルや困った出来事として現れることがあります。
起こった現象そのものというより、
それを通してたましいレベルで何を伝えようとしているのか、
どのような感情が自分のことを聴いてほしがっているのか、
自分の心の叫びを聴き、
「ああ、そうだったのか。こんなに私は辛かったのか。」
「ほんとはわかってほしかったんだね。」と
心の深いところで感じ、受け止めると心の傷というものは癒されていきます。
自分ひとりでも癒しは起こりますし、
カウンセラーなどのプロの力を借りるともっと変容が進みます。
何か傷つくような出来事があると外に原因を探しますが、
一方無意識レベルでは
心の傷が「癒されたい」という思いを持っていて
癒されるためにはそのような出来事を作らないといけない。
だからわざわざ傷つくような出来事を作って
「この出来事を通して今度こそは辛い気持ちを受け止めてほしい、心の叫びを聴いてほしい」
とたましいが叫んでいるのではないかと思います。
そしてそれは他者の業の表出とも相互に関係していますし、そういった周りとの連動で完璧なタイミングで起きる。
人智では理解できないレベルですが、寸分の狂いなく完璧に。
ですので卵が先か鶏が先かという話になり、
この世界は実は時間は存在せず過去も未来も「今」に同時に存在しているという教えもありますが、
まずは「傷」あるいは「業」があり
それ自身が浄化される必要があって
そのためには気づいてもらう必要があるので
現象化するということだと私は思います。
ですので究極のところ受精した時点ですでに業を抱えているという仏教の教えと同じです。
現象化した時、それを感じきり、いろんな人の助けを借りながら、
心が癒されればその傷はもう浄化されます。
しかし逆になかったことにしてしまったり
あまりにとらわれて「執着」になってしまうと
さらに傷が深くなってまたいつか別の形で現象化するということです。
業を抱えていることは個人の責任ではありません。
個人がどうのこうのできる範囲外ですが、
人間として生まれてきて
いろんな出来事を通して
自分の業、心の傷に向き合うことになります。
自分の「あり方」は変えられます。
傷を癒し、自分を受け入れる方向に歩んでいくかどうかは自由意志で決めることができます。
傷を癒すには心の声を聴き、自分のことを受け止めること
心の深い傷やトラウマを癒すには
その出来事を思い出して心の中で同じ感情になり
再体験し、「もう大丈夫」と手放すことだと言われています。
「再体験」と聞くととても恐ろしく感じます。
もちろん時期が来ていない、まだまだ向き合うには耐えられないという場合は
無理して再体験することは逆効果で余計に傷つくことになるでしょう。
例えば、
PTSDは災害や外傷にあった直後にケアをする方がいいとされていた時期がありますが
さらに傷を深めた事例が多かったようで今はこのような考え方はされていません。
ご自身のタイミングで
もう大丈夫ではないかと感じる時に
心の声を聴く、出来事を思い出して感情を感じるということをすればいいでしょう。
再体験するというのは、その時には辛すぎて耐えられなかった気持ちを
ちゃんと受け止めて、自分をいたわるということにつながります。
辛い感情を感じるでしょうが、
心の中で終わっていない出来事を終わらすためでもあります。
場合によってはセラピストやカウンセラーなどの専門家の力が必要です。
一人で心を見つめたり瞑想することもケアになります。
心を癒す方法 1 同じような人の体験談を読む
心を癒す方法 2 同じような人の分かち合いに参加する
心を癒す方法 3 一人で心を見つめる・瞑想をする
心を癒す方法 4 心が癒される本を読む。心が癒される人に会いにいく
心を癒す方法 5 カウンセラーやセラピスト、宗教家など話を聴くプロのケアを受ける
本来の自分、ありのままの自分はどこも傷ついていない
個人の人間として生きていると、本当に辛いこと苦しいことだらけです。
ニュースではほとんど毎日残酷な事件が報道されています。
三次元のこの世という世界、見えるもの中心の世界しか感じられないと、地獄のようなことがいっぱい溢れているように思えてしかたありません。
しかし、本来の自分というのは別の次元にいます。
ちゃんと、神様、仏様、宇宙といった存在が支えてくれているのです。
普段はそう感じられないのが普通かもしれません。この世は夢、幻だともいえます。
本当は初めから「癒されている」のですが、この世では「問題」があるようにリアルに感じてしまう。
本当の世界に帰った時、「ああ、大丈夫だったんだ」と誰もが思いだすでしょう。
この世で生きて、心を癒すという行為は、「本来の自分を思い出す」「もともと持っている神性を発揮する」ということです。
読んでくださりありがとうございました。
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