なぜか生きづらい。
いつも他人の顔色をうかがって、自分の本心は置き去り。
今やっていることは本当にやりたいことではない気がする。
高校生の時にマドモアゼル・愛先生の本に出会いましたが、
そのうちの1冊はまだ持っていて今でもなお発見があります。
以下の本は1994年に発行されていますが、本質をついているので今読んでも心に響き、
自分を顧みるのにとても役に立っています。
「どうして今の自分になったのか」
「いつ、どのような出来事がきっかけで自分を偽る習慣ができたのか」
「自分の本当の望みは何なのか」
など意識させられます。
以下、目次を紹介いたします。
目次を読むだけでも気づきのヒントとなりそうです。
心は素顔がいちばんうれしい (elfin books series)プロローグ
1 本当の自分に目覚めるためのパート
あなたは見せかけで生きていませんか
あなたは幼いころ、自分を売り渡していませんか
あなたは偽りの仮面をかぶっていませんか
あなたは感情に左右されずに行動できますかあなたはあなたのままで生きればいいのです。
2自分を好きになるためのパート
感情で判断するとなぜ不幸になるのでしょう
自分を好きになるためのポイントを学んでいきましょう
肩に力を入れずに自分の心に素直に従ってみましょう
意識のレベルで自分を見つめてみましょう
損得だけで物事を選ばないようにしましょう
ありのままの自分を認めることが自分を好きになる基本です。
3 悩みを解決するヒントを教えるパート
恋愛を成功させる能動的なアタック
恋人がいない寂しい時期の過ごし方
嫉妬心をさらりと受け流す方法
不幸だと感じている時の生き方
イライラ気分を解消する心の持ち方
能力不足で自信を失った時の対処法
お金が欲しいという心理の裏側
人生に失敗しないお金の使い方
人間関係で疲れてしまう本当の原因
よくない人間関係からの抜けだし方
楽に生きるための本当の楽観論
4 自然と共に生きるためのパート
人の評価ばかり気にするのはなぜでしょう
食べることは生きることそのものです
人類はもはや自然を征服したのでしょうか
人間は不安である必要さえなかったのです
エピローグ
読んでいて特に納得したのは、人間の行動には2種類の動機があるということ。
その動機は
①前向きな動機。真にやりたいことなど、エネルギーを出すのに躊躇がない動機。
②後ろ向きな動機。自己防衛の心理に基づく行為を生み出す。人に嫌われないように偽りの自分、建前の自分で行動するなどです。
①の動機で生きていけることが、人生を楽しむこつ、自分にも他人にも正直でいられるこつですが、
②の動機で生きていると常に無理や我慢をして本心を抑えていることになります。
本心を抑えているのでストレスがたまり、また他者に対しても一見望まれているような態度のように見えますが、根本ではうそをついていることになるので、本当の意味で他者と心と心の交流できはできません。
どうして後ろ向きな動機で行動をしてしまうのか
心の奥ではしんどいと感じているのに
どうして他者から良く思われたいという動機で行動してしまうのでしょうか?
それは、根っこには育ってきた親子関係に原因があります。
記憶に残っていないくらいに幼いころ、
親(養育者)の言うことを聞かないと生きていけないわけです。
自分の本心を正直に表現して、それをダメだとか変えろとか言わないで
「ああ、そうなのね。〇〇ちゃんはそう思うのね」と
気持ちを受け止めてくれる親であれば
自分の気持ちを正直に表現することに対して抵抗はなく、
ありのまま正直にふるまうのが当たり前のこととなっていきます。
そうするのが当たり前であれば
どんな感情であっても表現して大丈夫、受け止めてもらえるという
基本的な安心感が生まれます。
しかし子どもの気持ちを受け止められない親の元で育つと
「こんな気持ちは言ってはだめなんだ」
「こういう時はもっとこういうふうに振舞わないといけないんだ」
「自分の気持ちを言ったら怒られるから、我慢して親の気に入るように振舞おう」
このように子どもは無意識のうちに
自分の気持ちを表現してはいけないんだと学び、
気に入らないことがあっても我慢をして親の気に入る振舞いをするようになっていきます。
そうしないと力のない子どもは生きていけないからです。
このような行動パターンは幼少期のまだ記憶として残らないような時期に出来上がる場合が多く
物心ついた時にはすでにこの行動パターンが出来上がっています。
その子にとってはそれが当たり前なので、
その先も友達の前や社会に対しても同じようなパターンで行動することになります。
本人も気が付かないかもしれませんが、
知らず知らずに無理がたたり、
身体や精神にそのひずみが出てきたり、
あるいは人間関係でしんどさを感じるなどといった形でひずみが出てくることもあります。
辛い状況になって初めて
自身の心を見つめ、なぜそのようになってしまったかについて思いを巡らすと
幼少期の育てられ方に起因するということになります。
気づいた先、何をやるのか
親が悪いから親に言いたいことを言う、
今まで我慢してきたことを手紙に書いて親に渡す、
親と話し合って謝ってもらう、
このようなことが思い浮かぶかもしれませんが、
直接親とどうのこうのするのではありません。
自分で自分の心を癒すしか方法はありません。
「あの時本当は〇〇してほしかった」
「あの時本当は〇〇したかった」
「本当はどう感じていた」
このような未完結でそのままになっている気持ちをもう一度「感じ」
今度はそれを自分で受け止めるのです。
本を読んでそれができる人もいるでしょう。
一人で取り組むのが難しい場合はカウンセリングセッションで
カウンセラーやセラピストの手助けを借りるといいでしょう。
大事なのは「自分で自分の心を受け止め、癒す」ということ。
カウンセラーやセラピストに癒してもらうのではなく、
それを行うのは自分自身なのです。
自分で自分の心の深いところに降りて行って、
隠れていた本当の気持ちを救いあげるのです。
記憶にすら残っていない小さい時期の出来事であったりするので
一人では難しいという場合も多く、
そういう時にカウンセラーやセラピストの力を借りると
なぜか一人では難しかった「心の深いところに降りる」という作業ができます。
記憶にないことのはずなのに
「覚えてないけどこういうことがあったはず。その時の気持ちが今浮上してきた。」
という不思議な体験をすることがあります。
心の深いところに降りていく「はしご」を用意し、安全に降りていけるように
サポートするのがカウンセラーやセラピストの役割で、
降りていって「心を拾い上げる」のはあなた自身のすることです。
マドモアゼル・愛先生はこのほかにも素晴らしい本を出されています。
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