何かをやるかどうするか決める時、
心の中に迷いが出ます。
それを実際にやると想像してみて、気持ちが軽くなりますか?
それとも重くなりますか?
重くなるというのは、それをやる動機が「エゴ」の場合です。
エゴというのは、不安や恐れです。
本当はやりたくないから、気分が重くなるのです。
このような場合はそれを「やらない」。
複数の選択肢の中で迷う時は
その中で最も気分が軽くなる選択をします。
どれを選んでも気分が重いという場合もありますが、そのような場合でも、より軽やかに感じる方を選ぶのです。
気分が重いというのは心の抵抗や、不調和を現わしています。
例えば、あることをやめたい、頼まれごとを断りたい、という場合。
相手にやめると伝え、そのことから解放されることで、気持ちが軽くなりますよね。
でも、「断るのが難しい」から迷うわけです。
1.やめた状態・・・・①気持ちが軽くなる。相手のことは気にならない ②気持ちが軽くなるが、相手にどう思われるか考えると重い
2.やめると伝える・断る・・・・相手に伝える状況自体が重い
3.やめずに続ける・・・・気持ちは重いが、相手との関係は平和なまま(現状維持)
どれが一番自分にとって重く苦しいか?
やめる勇気があればやめられるのです。
ではなぜその勇気がないか。
やめると決めたら、何か良からぬことが起きるのではないかという心配です。
嫌われるのではないか?
相手の気分を害するのではないか?
優先すべきはご自身の本心です。
やめる選択自体が、最も気持ちを重くするのであれば、今はやめずに続けるのがいいでしょう。
そして、「必ずやめられる」と意志決定をし、
自分自身の本心本音に耳を傾けるのです。
「わたしは一体何を避けているから、やめたいのに続ける選択をしているのか?」
「やめたいのに続けていることで、何を得ているのか?」
仕事、介護、PTA役員、興味の薄れた習い事・活動など、「やめたいと本当は思っていること」色々当てはめることができますね。
本当はやりたくないのに続けていることって、エネルギーを消費します。
私は子ども時代にピアノを習っていたのですが、自分でもやめたいと思っていたのにも関わらず12年も続けました。
ピアノは嫌いではなく、弾くのも楽しかったのですが、習いに行くのがイヤだったのです。
その「イヤ」という気持ちにフタをしていたため、ずっとやめられずにいました。
練習不足でなかなか上達しないので、習い始めて早い段階で親からもやめたらどうかと何度も言われていました。
しかし「習いたい」と言い続けていたのです。
ピアノを弾けるようにはなりたいという気持ちはあったので、「習いたいんだ」と頭では思っていたのでした。
でも本当は行きたくないんですね。
練習不足なので。
なので高校生くらいになったら時々休むようになっていました。
その頃になると本当はやめたいということが自分でもわかってきたのですが、
やめると伝えること自体も気分が重くなることだったのです・・・・。
それを思うと、このまま続ける方がまだマシかも、やめる時期は自然に来るから、と。
でも当然レッスンの日も毎回気分が重くて重くて。
よく12年も続いたなと思いますが、子ども時代は今と違って自分の本音を優先できず、
人付き合いも下手で、人間関係にも悩みまくり、生きづらさを抱えていたにも関わらず「こんなもんだ」と感じていたのです。
大学受験を理由にやっと高3でやめました。
ところが、大人になってからもピアノのレッスンの夢を見るのですね。
ちなみに英語は5歳からやっていましたが、こんなに気分が重く感じることはなかったです。
英語で困る夢は見たことがありません。
ピアノの夢は毎回起きた後も重苦しい気持ちを抱えることになります。
たった週1回、30分のレッスンでしたが、トラウマ級に心が疲弊してしまったでしょう。
レッスンに行く時間になり、重苦しい気分を味わっている夢。
レッスンの時間が迫っていて、焦って練習をする夢。
これが一番多かったです。
年月が経つと変化があり、
ピアノを休む連絡の電話を入れようとする夢が多くなってきました。
電話をかけようとしてもかけられなかったり。
最近ではピアノをやめると先生に伝える夢に変化してきました。
ずいぶんと軽くはなってきました。
44歳になった今でもまだ見るのですね~。
それだけ負担に感じていたということです。
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今日もお読みくださりありがとうございました。