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「出会い」と感情の自己開示② 親から受けた影響

前回の続きになります。スピリチュアルケアの訓練では、ケア提供者は自分を知り、他者の前で自己開示し、本当の意味で他者と出会うことを求められます。

関連記事:「出会い」と感情の自己開示

「出会い」と書いていますが、実際に会って顔を合わしてはいても、内面の深い部分で出会っているのか?

感情を開示し、ちゃんと交流があり、お互いに揺さぶられ、出会っているのか?

 

「出会っていない」両親から生まれた?

そもそも私の両親は「出会って」いるのか?

結婚48年。

ううーーーーーん、出会ったことなんてほとんど無いんとちゃうかな?

と子どもながらに思う。

ゲシュタルト療法の5層1核の図でいうと、①決まり文句の層と②役割の層でお互い接している気がします。

「決まり文句」とか「役割」という表現はちょっとニュアンスが違うかもしれませんね。

 

本心本音で相手と繋がるのではなく。

また本心本音でぶつかるわけでもなく。

という意味です。

 

昔と比べて今は私自身生きるのがらくになりましたが、子ども時代は自己開示ができず、生きづらさを抱えておりました。

 

そもそも、私の出生自体が両親が愛し合って生まれたわけではないというか・・・。

人工授精で生まれたのですが、「母が孤独を感じていたため、早く子どもが欲しかった」という背景があります。

 

人工授精のような生殖補助医療で生まれたとしても、愛し合っている両親の元に生まれてくる子はたくさんいますが、私の場合は「?」です。

父のことが好きだったのではなく、孤独を埋めるために結婚したのでは?と思うのです、母の話を聴いていると。

 

そしてちょっとセクシャリティの話になりますが、

性行為は子作りのために行うものという認識をおそらく持っています。

あるいは男性側の快楽の追求、性欲の処理であって、女性は苦痛と我慢を強いられるものという認識。

お互いに愛し合い、悦びを感じ合うコミュニケーションという発想がおそらく無い。

普段こんなことを話すわけではないですが、ちょっとした会話の際に母の言葉から感じられたことです。

 

(※セクシャリティの問題はとても大事であるにも関わらず、人に相談しにくい。ですが根深いですし、私自身も最近になって色々考えているところです。今後セクシャリティについても書けたらなと思います。)

 

学生時代、私がまだ実家にいる頃は両親が2人で出かけることも多かったですが、ケンカも時々ありました。

父が母に暴力を振るうことも。

小学校時代、学校にいる間「もしかしたら死んでしまってるかもしれない」と母を心配したこともあります。

 

我が家は私が生まれた時から母方の祖母と障害のある叔母(母の姉)も同居していました。

父は祖母や叔母がいても制御が利かなくなるのか、母に暴力を振るうのです。

 

祖母が高齢でベッドで寝る時間が増えてからなのか、亡くなってからだったか、私はすでに離れて暮らしていたので直接見てはいないのですが、叔母にも暴力を振るいケガをさせたこともあります。

数年前は頭から血を流すほどの怪我を負わせ、病院に連れて行ったそうです。

4年ほど前に母も父の暴力で肋骨を折り、次の日その体で車を運転したものだから事故を起こして骨盤を骨折。

 

1か月以上入院していましたが、コロナ禍だったのでお見舞いが禁止のため何もできずにいました。

 

警察に訴えるのもやめてくれと母に言われるので何もできず。

 

何十年も前から暴力と借金に悩まされているのに離婚しようとしない。

 

機嫌の良い時は何の問題もないので、やり過ごしているのでしょうが・・・・。

 

父の借金も毎回母がお金を工面して支払い、とうとう土地を売る始末。

 

退職してからは家にいた父ですが、ちょっとでも働こうと思ったらしいです。

70歳を過ぎていたので仕事も限られていますよね。

デイサービスの送迎の仕事を見つけるも、潔癖症なので高齢者のお宅に行くのが耐えられず

3週間ほどで辞めたとか。

 

これも多分3年か4年前、最近のことです。

 

 

私自身は4人兄弟の一番上です。

 

最初の子だったので過保護気味に育てられました。赤ちゃん時代の写真も私だけとても多く、毎日のように撮りまくっていたみたいです。

「フエルアルバム」でしたっけ、あれが床から何十センチ分あるのってくらい写真撮ってもらってます。

写真に関しては当時は現像するのもお金もかかるしお店まで行く手間もあるのにすごいなあと思います。

 

愛情は感じながら育ったのでそんなに変な風には転ばずにきたんですが、まあでも制限だらけで不自由な環境でしたし、機能不全家族であることは間違いない。

 

見た目や形ばかり気にする親だったので、家族で外出する際は父の選んだよそ行きの服を着させられました。

そして別ページでも何度も書いていますが私は髪の毛を伸ばしたくても禁止されていました。

母は気持ちをわかってくれていたのですが、「お父さんがあかんって言うから」と。

 

髪が短く、ボーイッシュな格好をさせられていたので男の子に間違われることが多かったです。

 

そしてこの話をするとよく誤解されるのが「両親は男の子が欲しかったのでは?」

違うんです、男の子が欲しかったのではなく、父はもともとファッションセンスが良く、ボーイッシュな格好をした女の子や女の人が好きなのです。

 

綺麗な人が女性らしい格好をしても綺麗ですが、

ボーイッシュな格好をした方が、より一層魅力が引き出されると思っているのです、おそらく。

 

それは確かに顔立ちの綺麗な人であれば、より一層その人の女性らしさや美しさが引き出されるのは私も理解できます。

 

自分の子にも同じようにしたらきっと可愛くなるという期待があったのでしょう。

でも私の場合は顔が違う・・・。

 

そう、顔が違う

 

 

♪ 声が違う ♪

♪ 年が違う ♪

♪ 夢が違う ♪

♪ ほくろが違う ♪

 

 

・・・って、百恵ちゃんのイミテイション・ゴールドを歌ってる場合じゃねえんだ!!!

 

知らない方はこちらに歌詞と動画があります。

UTA-NET 山口百恵 イミテイション・ゴールド

 

 

理想通りにはいかんのだ。

 

このことが原因で相当病みまくり、子ども時代にすでに生きづらさを抱えておりました。

また、子どもなので言語化はできなかったものの、両親ともが深いコミュニケーションをしていない、外面だけがいいということを察知しておりました。

 

親自身の抱える「素の自分を出してはいけない」という生きづらさをもキャッチし、

親のしんどさを自分のしんどさのように感じていたため、私もまた自分を出せないのが普通でした。

そのため保育園に行ったり学校に通うことがとてもしんどく、朝気持ちよく起きたことがありませんでした。

 

そして、母からもよくダメ出しをされておりました。

(※母は当時は考えが固執していましたが、今はずいぶんと自由な感じです。)

 

保育園の頃は

「姿勢が悪い」

「おとなしいからもっとしゃべるように」

「あごを突き出す癖を直せ」

 

など。

 

小学校の時も、懇談で先生から長所も含め色々と言われたと思いますが、母からは短所ばかり指摘されていた記憶があります。

英語の勉強にもうるさく、単語を10回書くように言われて腹が立ったので

ある時例えば dog とこのように

dog, dog, dog, dog, dog, dog, dog, dog, dog, dog

10回書くのを

 

dddddddddd

oooooooooo

gggggggggg

 

と書いているのが見つかり怒られました。

(そりゃそうやろ)

 

そして歯の矯正。

せっかくやったのに後になって親知らずが生えてきたので歯並び悪くなりました。

今になって、整体の本とか色々読んで学んだ結果、やらなくて良かったのでは?と思います。

 

他、父が糖尿病を患っていたため、子どもがそうならないようにと食事を減らされたりしました。

小学校の頃、朝食の6枚切りの食パンを1枚食べるのは多すぎると言って3分の2にされたり。

インスタントラーメンは1食分は多すぎると減らされたり。

 

鶏肉の皮は捨てるのが基本、豚肉の脂も切って捨てるのが基本。

思春期になりちょっとぽっちゃりしてきた時は、太ったらあかんと揚げ物の衣をはがされて中身だけにされたこともあります。

 

父から聞いたエピソードですが、家族でフグ料理を食べに行った時は、父だけがフグを食べて、子どもたちには一切食べさせなかったらしい。

 

他にも、ちょっと具合が悪いと病院に連れていかれました。

 

まあ母は「外の基準」に合わせる人だったので、窮屈な考え方をしていましたが、優しいのは優しかったです。

誕生日とクリスマスは必ずお祝いしてくれましたし、プレゼントも買ってもらっていました。

 

 

愛情を感じられたのは長女として生まれたからでもあります。

私と4つ下の弟は父から可愛がられて割と大事に育てられたのです。

 

 

しかし6つ下の弟と8つ下の妹はキツく当たられたようで。

長男には甘く、次男にはキツい。

同じことをやっていても、長男は何も注意されず次男は怒られる。

 

弟は父のことが未だに嫌いですし、妹は10代の頃からぐれて、何年も摂食障害患っていました。

ずっと反抗期みたいな状態で、今38ですが両親とはほとんど口聞かないそうです。

 

父は昔から外見を気にする性格で、妹はきょうだいの中で一人だけ目が一重でそれを父がからかっていたらしいです。

「らしい」というのは、私は高校卒業後に実家を離れているのであまり知りませんでした。

 

弟、妹は父親としての愛情をほとんど感じていないのではないかと思います。

まあそんな中でも6つ下の弟も、妹もそれぞれ子どもが3人いて社会に適応して生きているので、

機能不全家族といえども、まあこんな人はいっぱいいるんだろうなどこも似たり寄ったりなのかもしれないなと思います。

 

親自身の「出会い」について、私の子ども時代の生きづらさの話でした。

両親もまた祖父母からの影響を強く受けていて、父の方は本当はファッション関係の仕事をしたかったのに、祖父が決めた仕事をすることに。

また母は母で心配性の祖父の影響が強かったらしく、外の基準に合っていないと不安になる性格です。

 

このことについて書くと長くなるのでまたの機会に。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

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