聴くより話す方が苦手 話を聴いてもらえないというビリーフ

話すのが苦手

この記事は自分ごとですが、いまの時点での気づきをメモしておこうと思います。

NPO法人で「コミュニケーションアドバイザー講座」なるものを担当することになりました。

講座の準備をしつつ自分はちゃんとコミュニケーションできているのかと分析したところ、

聴く方は割と得意なのに対し話す方が若干苦手気味だなと。

苦手といってもそれほど問題もなく気にもしていないのですが

普段のコミュニケーションに「自分」が現れますからね。

どこかの記事で書いたかもしれませんが

話す立場になった際に「詳細を省いて大事なポイントをまず言う」という傾向にあります。

そして相手によっては「わかりにくく感じる」「難しく感じる」。

どうしてそういう風な話し方になるのかというとやはり幼少期から抱えてきた「ビリーフ」が原因。

・相手の様子をみて「あ、私の話を聴く気が薄いな」と敏感に察知する性格なので、

話を長くするよりは短く終わらせたいと思う。

・事実はどうであれ「人は私の話を聴いてくれない」というビリーフを抱えていて、

他者が私の話に耳を傾けてくれ、ゆっくりじっくり聴いてくれるということがない(ように感じていた)

というビリーフがあるので、話すことへのちょっとした恐れがある。

・他者への不信感。どうせ聴いてくれないという無意識の思い。他者が私の話を聴いてくれるということを心の深い部分で信じていない。丁寧に話して聴いてくれなかった時傷ついたら嫌だというビリーフがある。

・本当は話したくないという思い。伝えよう、伝えたいという思いを抱える一方「どうせこの人にはわからんやろ」という思いを自分の自覚が届かないところで抱えている。

・根底には「私の気持ちを受け止めてもらえなかった」という喪失の積み重ね。本当の気持ちを抑えて続ける我慢の連続。

 

親や周りの人たちが、「自分の気持ちや考えよりも他者や社会の常識の方が大事」という考えだったのでしょう。

親自身が自分の気持ちは二の次、それが当たり前になっていたので子どもにもそう振る舞う。

子どもが辛いと言ったり誰かとけんかして腹が立つなどと訴えても

「あんたの方が間違っているのではないか」

「こういう考え方もある」

などとアドバイス。

最初の会話の時点で子どもにしてみたら「ああ、またわかってくれなかった」という失望を感じるわけです。

親の方は子どもの気持ちを本当はわかっているかもしれませんし、わかっていないかもしれませんが

言葉上の反応としては上記のようなものになり、子どもにとったら気持ちを受け止めてもらえなかったという体験になります。

後なになってから考えると親も子どもの気持ちを心の深いところでは理解してくれていることがわかるのです。

ただ、言葉での反応が残念なため子どもには伝わらないのですね。

子どもが成長した後に自分で気づくかもしれませんが、蓄積されたビリーフはそう簡単には変わりません。

成長する段階で、

正直な気持ちを言ったところで否定されるので、自分の気持ちを伝えることをやめていき、

当たり障りのない話しかしないようになってしまいます。

いつもそうであるということはないでしょうが、

そのような傾向になります。

すると自分でも自分の心の声を聴かなくなり、

本当は何を感じていてどういうことに心地よさを感じるか、

何が好きなのかという感性の声よりも

こっちの方がうまくいくのではないか

という親や社会が良しとしている「考え」「頭の声」の方を優先するようになってしまいます。

それが当たり前になっていくと今度は自分が親の立場になった時に

やはり同じように子どもの気持ちを受け止めるのではなく、

良いか悪いかという「社会で望まれる考え」を押し付けてしまうことになります。

心の深いところでは我慢に我慢を重ねていて、不満がたまっていますが、もうそれが当たり前になっている。

結局自分がされてきたことと同じことを繰り返すというわけです。

どこかの時点で気づくと改善できます。

まずは自分で自分の感性の声を聴き、それを否定しないこと。

本当は「イヤだ」と感じていることや

「めんどくさい」と感じている気持ちなどをちゃんと受け止める。

結局、「他人は私の話を聴いてくれない」というビリーフですが

そのビリーフを抱えていると本当にそうなってしまいます。

「話を聴いてもらえるよう長くならずに短くポイントを伝えよう」という

伝えるため、わかってもらうための努力であっても

他人にとっては難しい、イメージしづらくて理解できないという

まさに「私の話をわかってくれない」というビリーフが反映されるという状況を作り出してしまいます。

これは、たとえ私が話し方を変え「もっと詳細に伝えよう」と話を長く話すようにしても

「わかってくれない」という状況になってしまうということです。

 

話し方ややり方という表面的なものを変えることももちろん重要かもしれませんが

それよりも「わかってもらえない」という根底にあるビリーフを抱えたままだと

やっぱり「わかってもらえない」という状況を作りだすのでそっちの方が大事ということ。

「わかってもらえない」という状況に自らの言動がそうなってしまう、

あきらめの方向に無意識に行動してしまうということです。

「わかってもらえる」「私の話を受け止めてもらえる」という他者やの信頼、

「自分を抑えて我慢しなくてもいい」「他者にわかりやすく伝えることができる」という自分への信頼を取り戻すと

相手にわかりやすく伝えることができるようになるでしょう。

 

冒頭にも述べましたが話すことが苦手でしょうがないというわけではなく

割とわかりやすく授業をしたりもできたので、それほど問題に感じているわけではありません。

「私の中のビリーフまだあるよね」「掘り起こしきれてないビリーフを見つけよう」という気持ちから

心を探ってみた結果わかったことでした。

 

 

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