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グリーフケア・スピリチュアルケアを学ぶ原点。複数の死に直面しそれまで見えていなかったものに気づいた体験。

あの時というのは、2007年1月21日。

産院で赤ちゃんとのお別れをし、母体の状況が悪化したため別の大きな病院に搬送された時のこと。

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後から夫と両親に聞いた話では同じ待合室でご一緒した方たちがいたそうです。

ICUの待合という張り詰めた空気の中、家族がどうなるのかわからないといった状況。

同室の方はたしかお父様、お子さんたちの年齢から考えておそらく50代くらいの方が交通事故に遭い、救急搬送されたということだったそうですが、残念ながら亡くなったのです。

そのようなところに私もいた。

その方は亡くなり、私は助かったということが、今でも突き刺ささっています。生死をさまよい、一方は亡くなり、一方は命を取り留める・・・・。このことを思い出すと、私だからこそできることをし、私ならではの人生を生きていこうという気持ちが一層強まります。

生きて戻ってこれるか、亡くなるか、本当にぎりぎりの状況だったようで、夫はもう私は死ぬのだと半分諦めていたようです。

「こいつの人生は一体なんやったんや。まだ何にもしてないのに。人生何も始まってないのに。」と。

後になって聞きましたが、当時夫は夫の母である義母や兄弟に状況を伝えないといけないので、連絡するものの、「単語のられつで何言ってるかわからんかった。」と。

相当なパニック状態です。

40度の熱と激しい頭痛のため、動くことができず、4日目に出血をして慌てて病院に行ったのですが、耐えている4日間の間に病状はどんどん進んでおり、手遅れ寸前になっていたのだと思います。

「ぎりぎりでした。」

「命拾いしたねえ。」

「普通は死んどる。」

医師や看護師の方に言われた言葉です。

本当に生きているのが不思議で、私はその時、肉体の命も救われたわけですが、たましいも救われたという体験をしました。

生きてていい。存在してていい。

こんなにも私は愛され、多くの人たちに支えられていた。

今まで気が付かなかったけど、生まれてからずっと常に多くの人に愛され、支えられて生きてきた。今やっとそれが見えた。

そしてこれは私だけではなく、ありとあらゆる人が同じなのだ。

多くの人に愛され、支えられている。苦しいうちにある時はそれが見えないかもしれない。しかし一時もそれは離れることがない。

そしてまた、この私も自分が気が付いていないところで誰かの支えになっている。

生死を超えた次元からみると、人は誰もが愛の中に生きている。

人間の目からはどんなに過酷な人生に見えようとも、どんなに極悪非道な人間に見えようとも、その真実の次元からみると一人残らず誰もが常に愛と慈悲で満たされ、大丈夫なのだということ。

 

・・・・こんなことを私は気づいたんだなあと、今思い出して、あらためて与えられたいのちを大切にしていこうと思いました。まあ気づいた後も心は揺れ、迷いの世界にまたちょっと戻ってしまったりはありましたが、しかし一度あのような体験をすると人間根本から変わります。

この体験をする前の私というのは、他人と自分を比べて、自分の方が優位に立つことが幸せにつながるのだと本気で思っておりました。

自分の方が上に立ち、差異を感じることに価値を置いていたのです。

当たり前ですが、ある部分では人より秀でたものを持っていたとしても、ある部分では人より劣っているわけで、比較を続ける限り心が満たされることはありません。

「日本の景気が良くなったらみんなが良い物を所有できる、みんな同じようになったら意味がない、それでは幸せを感じない。自分がのし上がって人よりも抜きん出ることに私は幸せを感じるから景気が良くなったら困る」と思っていました。

当時はそう思わないとやっていけないような自分でも意識の隅においやった深い闇を抱えていたのですが、その闇の居場所もちゃんと自分の中に作ることができたので、人生わからないもんだなあと思います。またどんな状況でも希望はあるということもわかりました。

20代の頃はあれもほしい、これもほしい、けど手に入らないからいつも不満でしたが、今はもう物欲もほとんどなく、しかし不思議と良い物をもらったりしています。自分からはあまり買わないのですが、「なにがなんでも欲しい」という執着がなくなると向こうから入ってくるというのは本当のように感じます。

生死に触れる体験というのは人間を変えますね。あのまま死んでいたら、私は真の喜びを感じることもできず、常にそこにあった愛、幸せに気づくこともなかったのです。

グリーフケア、スピリチュアルケアという活動に関わらせていただくことになった私の原点、土台となっているのがこの時の体験。生還したということ。そして同時にいのちを懸けて大切なことを私に気づかせてくれたのが3人目の赤ちゃんの存在。

今、その子の生きた証をその子と一緒に積み上げていっています。紆余曲折、進んだり戻ったり、いろいろありますが・・・。人間だから間違ったり、失敗したりしてもいいんです。

そうやって泣いて、怒って、笑いながら生きていく。

そして一番私のやりたいこと。人の大切な思いに触れさせていただく活動ができることに感謝しています。

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

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