覚醒体験をした後、自分の中の価値観ががらりと変わり、その後周りはどうなったかという話の続きです。
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今回は③になりますが、タイトルに書いた「話の通じる人が増えた」という内容ではなく、
もうすでにそれを生きている人がいる。
そのことに私が気づけるようになった、という内容になります。
もうすでにそれを生きている人、というのは「今ここ目の前の人・物事に心を開いて生きている」という意味です。
自分を守るための言動をすることがなく、いつも飾らずありのままを生きている人。
目の前の人に対して心を開いて接していて、仕事も夢中になってやっている人。
心が「ここ」にある人。
「覚醒体験」とか「スピリチュアルな感覚」とか、全く知らなくてもそのような人はいます。
もうすでに「それを生きている人」は、一緒にいると居心地が良く、疲れることがありません。
職場にこのような人がいると、たとえ仕事内容がつまらなくても、「あの人に会って話せることが楽しみ」となり、仕事に行くのが苦痛ではなく、楽しみとなります。
以前にも似たような記事を書いております。
関連記事:真剣に仕事をし、目の前の人を大切にしている人はやっぱり素敵
フツーに日常で接する人の中に、あの人もそうだ、この人もそうだ、という人が増えてきました。
介護のパート先で出会った人たちもそうですし、近所の奥さんもそうです。
※このパート先、まじで神職場。全員菩薩!!!
これは私の意識がだんだんとクリアになってきたから、それに気づけるようになったのだと思います。もちろんそのような人たちも完璧でパーフェクトというわけではないですし、一生懸命やっていてもミスをすることもあります。
「それを生きている」といっても、みんなが完璧でパーフェクトな振る舞いをして、仕事をしていてコンピュータみたい、という意味ではありません。
決して完璧ではないのです。
一人ひとりは欠点なども認識していると思うのですが、ご本人がそれも受容していて、心の深いところで欠点も含めた自分を愛している。
だからなのか、他人の欠点を責めることもなければ、悪口を言うこともない。
多分私の身の周りには、そのような人たちが昔からいたのだと思います。
でも、なかなか気づくことがありませんでした。
たま~に「あの人はすごい」と思うような人に出会うものの、今ほど感動してはいなかったです。
昔は人から理不尽な理由で怒られたりもしましたし、気持ちをわかってもらえず誤解されたこともあります。
それもまた、自己否定をしていた内面が、外の現象となって現れていたのだと今になって思います。
今現在、覚醒体験の時のような研ぎ澄まされた感覚は薄いですが、「今ここ」でいられる時間は各段に増えています。
増えたといってもまだまだ、思考だらけになってしまうことも多いのですが、覚醒体験前とは全く違います。
これは体験後も、ある程度元に戻ったものの、内省(一人カウンセリングです)やスピリチュアルケアの訓練を受けたりすることで、徐々にクリアになっていきました。
覚醒が定着するのが「悟り」ですね。
その状態になると、ありとあらゆる存在がもともと悟っていたのだ、変わらなければならないものなど、何もないんだ、ということがわかるのでしょうね。
「今ここ」で生きている状態が悟りと呼ばれていますが、
その悟りの状態になると、
「今ここ」で生きていない人、悩みを抱えている人、生きづらさを抱えながら生きている人を見たとしても、その状態のままでもそれが悟りの状態なのだ、となるのでしょう。
私はまだ悟りには至っていませんが、覚醒体験の際に「あらゆるものは寸分の狂いなく、元々調和して動いているのだ」とわかりました。
悟っていない状態では、他人に対してまだ
「こうすればいいのに」
「〇〇をしたららくになるのに」
などと自分の基準に合わせ、その理想になればいいのにと思ってしまうものです。
悟りの状態では、他人はそのままで既に「悟っている」「それを生きている」ということがわかり、「こうすればいいのに」と思ってしまうこと自体もまた、悟りの中で起きていることなのだと放っておけるというか。
もう「それ」になるというか、「それ」であることが自然。
「自分」というものにとらわれず。
固定された「自分」はいない状態。
ただただ目の前のことをこなして生きていくのだろうな、と思います。
今日もお読みくださりありがとうございました。