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入院の体験・関連記事
>>>>生死をさまよった体験 9記事
入院は2007年のことです。
上記の記事はおもに2012年に書いたものが大半ですが、また書き切れていなかった部分を今回お伝えしようと思います。
またこの記事が誰かの役に立ちますようにとの思いです。
医学的な言い方をすればICU症候群ということになるのかもしれませんが、当の本人や家族にとってみれば、それまで保ってきた人格までもが失われそうな大きな不安にさいなまれることもあるでしょう。
また症状を抑えようと鎮静剤を処方されることで、一見おとなしくなったように見えますが、心の中で何が起こっているかは本人しかわかりません。
らくになったのか、それとも副作用がきついあまり声を上げられないのか、なかなかわかりづらいこともあるのでは。
人が来た際には必死で平静を装いました。
私は鎮静剤の副作用があまりにキツく、あの状態が続いていたのであれば飛び降りていたかもしれないと今でも思います。
一日だけの処置だったので大丈夫でしたが、それほど精神に影響を与えるものです、薬が合わない場合は。
昼間は安定。夜になると不安に
2007年の1月に母体の感染症(おそらく食中毒「リステリア」ではないかと思っている。)が原因で、3人目の子がおなかの中で旅立ちました。
その後も私の容体が回復せず、別の病院に救急搬送されることに。
ICUに入院したのは日曜日、目が覚めたのは木曜日の夕方でした。
その後ICU、救急病棟、産科と移動。
ICUや救急病棟にいるときは寝ている時間も多かったのでそれほど精神活動のアップダウンもありませんでした。
産科に移ってからは身体の回復に伴い、精神活動も活発になってきました。
赤ちゃんを失う、自身も生死をさまよい手術を受けるなどの処置をし、いろいろなことが一気に身に降りかかったこと、さらに当時上の子たちが幼稚園の年中、年少、5歳と4歳になったばかり、私も細々ですが仕事を持っているという状況。
しかし入院中は非日常でもあり、またなぜか自然と自身の人生の振り返り作業も行っておりました。
昼間は割と落ち着いた精神状態のときがほとんどでしたが夜になると変な気分を感じる日も出てきました。
「敗血症っていうとったけど、本当は白血病じゃないのか」
「回復してきてるって聞いたけど本当は死ぬ病気なんじゃないか」
「みんな私に本当のことを隠してるんじゃないか」
などという考えが頭に浮かぶのです。
個室だったので夜は話相手がおらず、一人という気楽にいられる環境が、逆に一人の世界にどっぷりはまってしまうということにもなりました。
朝になって周りが明るくなったらこの考えは消えるということがわかっていましたがそれでも不安や恐怖が浮かぶと本当に怖くなります。
できるだけ考えないようにしようと、電気をつけたり、テレビをつけっぱなしにして寝たりしました。
昼間のやり取りが夜になって思い起こされ、妄想につながる
昼間は家族や親せきがお見舞いに来てくれたりと、本当に満たされた幸せな時間を過ごしました。
しかし、そのこと自体が逆に不安や恐怖と結びついてしまうのです。
「あの時の誰それの態度は、私に本当のことを隠すためにわざとああいう振る舞いをしたのではないか」
昼間うそなどつかず、正直に接してくれている人の態度、優しさ。
入院中は感性が普段の数倍敏感になっていて、人の本心がダイレクトに伝わってきます。
昼間は本当に心と心の交流といいますか、そのことが今スピリチュアルケアをやっている原点にもなった体験ですが、夜になると自分の妄想と昼間感じたことが混ざり合います。
「優しい態度をとったのは私になにか隠しているからじゃないのか」と。
脳のドーパミンが原因?昼間も妄想が・・・
日によって波がありましたが、昼間も妄想が出てくることもありました。
夜に比べたら大したことはありませんし、精神状態は割と安定している中の妄想です。
ちなみに私はこの入院でいわゆる神秘体験・スピリチュアルな次元につながる体験というものをしています。
>>>>一瞥体験・神秘体験・魔境 10記事
(「直観」が降りてきて色々なことが「わかる」のですが、言葉にするのは難しく、当時理解したことを脳の中で処理し3次元的な言語で表すのに数年はかかっていますし、今も調整している最中です。)
病的な妄想とこのような神秘体験は割と近い領域にあるのかもしれません。
過去記事にも書いておりますが、人生観が変わるような体験・宗教的洞察が得られた直後、あれよあれよという間に「私はもう死ぬ。無になる」という強烈な妄想に襲われ、半分記憶のない中暴れたようです。
鎮静剤を打たれることになりました。
昼間の妄想というのは、残された家族が事故や火事に遭うのではというもの。
色々なことが一機に身に降りかかったので、さらにまた何かあるのではという不安と心配。
大切なものをまた失うのではないかという恐怖。
それが度を過ぎると単なる「心配」の感情が「確信に満ちた妄想」「そうであるに違いない」という感覚になっていくのです。
統合失調症の陽性症状も似たような感じです。
脳内のドーパミンの分泌が過剰になると妄想だ出てくるとのことですが、私の場合も身体が死にかけるという危機的状況を体験したため、全身のバランスが崩れて脳にも影響があったのではないかと思います。
ある夜、私は宗教的体験をするのですが、そのまま「妄想」へと移行。
宗教的体験ではワンネスを感じたり、宇宙のことがわかったり、仏教で言われているようなことがすべて腑に落ちる感覚を感じたり・・・しかしこれを超えたら「真実の自分」になる、という感覚の寸前で闇の力のような邪魔が入り、そのまま私の頭の中は妄想が大部分を占めるようになっていきました。
私はもう死ぬ。
この世は本当は誰も存在しないし、この世自体が無い。
消えて無になる。
怖い!
地獄に落ちる!
鎮静剤として使われたのは「セレネース(ハロペリドール)」という統合失調症の症状を抑えるためにも使われる薬でした。
上記の過去記事にも書きましたが、妄想の状態もまた辛いですが、この薬の副作用の方が私にとってはしんどいものでした。
人間としての感情が全く無くなり、生きているか死んでいるかもわからないのです。副作用から生じる妄想の方がよっぽどひどいものでした。
最後に。スピリチュアルな成長の過程で生じる感覚と精神的病理は境目があやふやかも
脳のホルモン状態や脳波など物理現象によっても感じる感覚は異なってきます。
ドラッグやある種のキノコなど外部の作用から宗教的体験が誘発されることは有名です。
統合失調症やパニック障害、うつなども物理的に見れば脳の中ホルモンバランスが崩れている状態ともいえるでしょう。しかし、見方によればそれらの症状は精神的に成長する段階で起こっているとも言えます。
人は生きていく中で個人差はあるもののスピリチュアルな感覚も深まっていきますが、大きな喪失や悩みを抱えていたり、そういったものがないとしても、身体活動を支えているバランスが崩れると「病的」ともいえるしんどい症状も生じることとなるのではないでしょうか。
スピリチュアルエマージェンシーという本にはそういった「病気」として扱われてきた人の中には結構な割合でそれが「スピリチュアルな成長の過程で生じるもの」なのではないかということが書かれています。
以上、読んでくださりありがとうございました。