グリーフケアを学んでいる時に書いたレポートです。
細かいところは少し訂正して書き直しました。
回復の見込みがない病気あるいは事故の後遺症で近い将来必ず死ぬとわかっている状態の延命治療をするかどうかの判断について述べる。
患者は激しい痛みなどの肉体的苦痛を抱えている場合延命治療をやめることが出来るかどうか。
1999年、東海村で起きた臨界事故で致死量を大幅に超える放射線を浴びた作業員大内さんの例を挙げて考える。
当時の様子を簡単に箇条書きにする。
- 事故直後から数日間は意思の疎通ができるほど、外見にも異常は少なかった
- 日ごとに悪化していく容態
- 肉体的に壮絶な痛みを抱えている
- 遺伝子が損傷し、新しい細胞を作ることができなくなった状態
- 全身から一日何リットルもの体液がベッドのシーツに染み出していた
- 大内さんの言葉「やめてくれ。」「俺はモルモットじゃない。」
- 近い将来確実に死ぬということがわかっていたにも関わらずの治療
- 背中の皮膚の一部は回復していた
- 生命の危機も何度かあったが、そのたびに蘇生措置を行った
- 妻は少しの希望を持って命が助かることを望んでいた
- 本人もきっと生きたかったのではないかと妻は言っている
- 医療者の葛藤。誰のため、何のために延命治療をしているのかわからないという者もいた
- 一方、妻と主治医は大内さんの生きたいという意思を尊重し、最後まで希望を持っていたと述べている
- 医療者同士でも意見が異なる。
回復する見込みのない場合に陥ったケースを想定して普段から考えておくことが重要という考えに対して述べる。
実際に当事者となった時にどう感じるかは、なってみないとわからない。
いくら事前に様々なケースを想定し、どう感じるのかを想像していても、実際自分の身に起きた時にその想像通りの感情を感じるのかということはわからない。
事前に考えていたとしても経験してみて考えが変わることもあるだろう。
経験してみないとどのような決断を下していいのかわからないことは明白であるが、そのような事態に陥った場合はどうするのか事前に考えておくことが必要ないかというとそうではない。
決定的な決断は「その時」になされるべきだが、事前に深く考える機会も持つことが「その時」の決断をより納得できるものにする助けになるはずだ。
事前にあらゆる想定をし、想像の中で自分の感情を感じることで、何もしない場合よりは自分のことを知ることができる。
自分のことを知るという訓練である。そのような訓練をすることで、「その時」の自分の考えをより明確に認識することを助けるのだと思う。
何も準備しないまま、ただその時の感情で決断し、あとになって後悔するということが実際にある。
準備しないまま感じた感情もその人の感情であることはまちがいないが、意識せずとも普段から「どんな形であれ、長生きすることが大事だ。」と無意識のビリーフを持っていたとすると、決断がそのビリーフに影響され、本質が見えなくなることが考えられる。
苦しんでいる家族が「もう余計な治療はやめてくれ。」と感じていたとしても、自分のビリーフを優先してしまい、亡くなった後に冷静になって考えたときに後悔するということもある。
一口に延命治療をどうするかといっても、抱えている苦痛の度合いによって意見が異なることが予想される。
最も大切なのは、過去に頭の中の想像によって行った決定ではなく、今現在どう感じているかということである。
意識のない患者から発せられる思い、メッセージに従うことが重要なのではないかと感じる。
「辛さ、苦しさ」よりも「いのち」を感じている家族の場合は、延命治療を続けたいという場合が多く、「いのち」よりも「辛さ、苦しさ」をより感じている家族は治療をやめてほしいという場合が多いのではないか。
「いのち」に関する感性の問題、また個々の状況によっても変わってくる。
例え本人が事前に延命措置はしないでくれと伝えていても、実際にそのような場面になって、意思の疎通測れない状態にも関わらず患者から「生きたい」という願いのようなものが家族に伝わることがあるのではないか。
また逆のケースのあると考えられる。治療を途中でやめないでくれと本人が伝えていて、実際にそのような場面になったとする。本人の意思に従い寿命が尽きるまで延命治療を続けようとする家族が、患者から感じるものは「生きたい」というメッセージではなく、「辛い、もういい、殺してくれ」かもしれない。
患者の意思を事前に知っておくことは重要だが、ほとんどの場合は当事者も意識することなく日々を送っているのであり、ある日突然このような事態に陥ってしまってどうしたらいいのかわからないというのが現状であろう。
『人生の最期の尊厳となると、その時になってみなければ分からないと思えてきます。』と中島みちは著書の中で述べている。
脳死などの場合、延命治療によって中には数年間もの間身体がホメオスタシスを保ち生き続けるという場合もある。
娘がそのような状態になってもスピリチュアリティすなわち「いのち」を感じながら何年も看病をしている母親も存在するのだ。
例え意思の疎通ができなくても、確かに存在する「いのち」を感じ、過酷な状況であっても幸福感を抱いている人もいるのである。(『脳死・臓器移植の本当の話』参照)
家族が延命治療を続けるか否か、鍵を握っているのは患者の苦痛の度合いであると想像している。
臨界事故の大内さんのようなケースでは、明らかに想像を絶する痛みが見て取れるため、家族と医療者の間でも意見が同じではなかった。
亡くなった後も十分やりきったという過酷な治療における満足感みたいな感情を感じる者もいれば、本当に良かったんだろうか、誰のための延命治療だったのか、と後悔のような感情を抱いている医療者も存在する。
事前に延命治療に関する何等かの意思を伝えていた場合であれ、そうでない場合であれ、実際にそのような状況に陥った際に患者から伝わってくるメッセージを家族が感じることができるかということ、そしてその伝わってきたメッセージ通りに治療を行うのか、やめるのかを決定することが患者の死後、残された家族にとっても有益であると考えている。
難しいのは、患者の発する思いを感じられない場合である。
どうしても家族が判断せざるを得ないために本人が望んでいない方向に行ってしまう可能性があることである。
大内さんの妻が本人も生きたいと思うに違いないという趣旨のことを言っていたが、私の解釈では「この状態から回復したい。そして生き続けたい。」ということだと感じた。
決して「この苦痛を背負いながら寿命が尽きるまでは延命治療してほしい。」ということではなかったのではないか。
つまり「回復しないのなら殺してほしい。」と感じていたのではないか。
腕や足を切断すると二度と生えてこないことは誰にでも明白な事実である。「きっと生えてくるから。」と励ます人はいない。
当時大内さんが浴びた放射線量は致死量を大幅に超えていた。
当時の医療技術をもってしても回復不可能であったことは明白である。「きっと回復するから。」という希望は単なる思い込みではなかったのかと感じる。
「俺はモルモットじゃない。」まだと意識がある時に大内さんは発したのだそうだ。
これは私の想像なのでもちろん実際には状況が異なるのかもしれない。大内さんの妻や主治医の言うことが事実なのかもしれない。「例えこの苦痛が消えなくても愛する君と限界まで一緒にいたい。だから苦しいけど生きたい。」と大内さんは心の奥で感じていたのかもしれない。
仮に、あのような状態で生かしておくことをやめて安楽死させていた場合はどうだろうか。他の病気でスパゲティ症候群になっているような場合でも、延命治療をやめて安楽死させることについて議論されている。
肉体的に耐え難い苦痛がある場合の安楽死を認めると、今度は精神的に「耐え難い苦痛のある場合の安楽死はだめなのかという議論に進むという。
「脳死・クローン・遺伝子治療」の文章を引用すると、『「身体的な激痛回避のための安楽死は正当化できる」という次元から必ずしも身体的な痛みとはいえなくても、人間としての耐え難い精神的な苦痛を回避するための安楽死も正当化できるという次元に進むことは避けられない。』とある。
精神的苦痛であれば長期間確かに苦しむかもしれないが、時間はかかっても折り合いをつけながら生きていけるまで回復する可能性がある。肉体が蝕まれている場合、回復が不可能であることが決定的な違いである。
最後に、どの決断が正しくてどの決断が正しくないと判断することはほぼ不可能なのではないかと感じる。
しかしながら延命治療をするかしないか、安楽死させるかどうかの問題は普段から深く考えておくことは、当事者になった際に判断の助けになると考えている。
参考文献
NHK「東海村臨界事故取材班」 『朽ちていった命』 新潮文庫 2006年
中島みち 『尊厳死に尊厳はあるか』 岩波新書 2008
香川知晶 『命は誰のものか』 ディスカヴァー選書 2009
加藤尚武 『脳死・クローン・遺伝子治療』 PHP新書 1999
小松美彦 『脳死・臓器移植の本当の話』 PHP新書 2004