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かぐや姫の物語「わらべ唄」「天女の歌」にみられる神秘性とスピリチュアリティ

日本の原風景が描かれている

これを執筆しているのは2019年3月1日。

実は数年前からジブリ映画に関する記事を書きたいなと思っておりましたが

仕事をしている時は忙しくてブログ執筆の時間がほとんど取れずにいました。

スピリチュアルケア研修(2月17日~23日)が終わって、

より一層自分の心の揺れに敏感になっているのですが、

この勢い?タイミング?でジブリ映画におけるスピリチュアリティについて

感性を研ぎ澄まし、私自身感じたことを書いていきたいと思います。

 

「かぐや姫の物語」は劇場に見に行ったのですが、

あまりに心にぐっとくる作品だったので、普段めったに買わないDVDを購入しました。

日頃目にするようなアニメーションのタッチではなく、

水彩画を思わせる余白を生かした手法で

より一層登場人物の躍動感や

私たち日本人のノスタルジーを呼び起こさせる日本の原風景が

日常の雑音から心をシーンと静かにさせてくれます。

ただただ心地よい風の音や川のせせらぎ、虫の鳴く声や動物の足音などが聞こえてきそうです。

時代背景はおそらく平安時代ですが、当時の人々の

自然と共に生き、それぞれの生業を大切にしながらの

時には丁寧な時には過酷な

暮らしぶりが垣間見られることも面白いです。

 

かぐや姫の物語の作品をご存知ない方は、

まずはぜひご覧いただき、豊かな時間を味わっていただきたいと思います。

DVD

Blu-ray

かぐや姫=竹取物語ですが、

ジブリ作品で表現されているかぐや姫は私たちが抱く「かぐや姫」のイメージを覆します。

おしとやかで感情をあまり表さない、冷静で芯の強い、何から何まで完璧な女性ではなく

日々、揺れ動く感情を抱き、時には巻き込まれながらも

喜び、怒り、悲しみ、切なさなど

私たち人間とどこも変わらないごく普通の女性像が描かれています。

この作品は高畑勲監督が制作に8年かけた作品で、

かぐや姫のみならず登場人物の心情がまるで自分のことのように感じられますし、

一見素朴なアニメーションに見えはしますが、

通常の数倍の絵の枚数を使っているとのことで、

登場人物の表情、動き、自然の植物や動物、人々の日々の営みや息遣いなど、

とても細かく丁寧に描かており、登場人物の息遣いや心の動きがありありと感じられます。

こちら外部サイトですが、かぐや姫の物語について絶賛しています。

>>>>追悼・高畑勲監督、最後の作品『かぐや姫の物語』は語り継がれるべき傑作だ

 

私はこの作品から、作成者側の並々ならぬ思いが伝わってきて、

まさに「いのちそのもの」を感じる作品だと思いました。

たった一度の人生を生きること・・・。

この世にたった一人しかいない「私」としての人生、「あなた」としての人生。

観終わった後、自分自身もまた生きることについて考えさせられるような

私たちのスピリチュアリティも変容させられるような作品です。

しかし人によっては「絵が雑で気に入らない」「面白くない」と思う方もいるようです。

私は物語の冒頭から涙がこぼれるようなシーンが満載で、始終感動しっぱなしでしたが、

知人は「どこでそんなに感動したん?最後の場面やったらわかるけど。」とのこと。

実は私の子どももこの作品の良さを味わい切れていないうちの一人です・・・。

なんとも残念に思いますが、そのように感じる方もいることは事実です。

以下、作品の中で耳にする「わらべ唄」「天女の歌」についてです。

ジブリのかぐや姫の物語「わらべ唄」「天女の歌」にみられるスピリチュアリティ

これらは一つの歌の前半と後半です。宗教的というか哲学的というか私たちのスピリチュアリティに揺さぶりをかけるような歌だと思いました。

幼き日のかぐや姫の涙。たましいの記憶

物語の序盤16分ほどの場面で近所の子どもたちがわらべ唄を歌うシーン。

かぐや姫はその続き、「天女の歌」を口ずさみ自然と涙が溢れます。

このシーン、どうしてこんなに心を揺さぶるのでしょう、

私だけでしょうか。

懐かしい記憶、ずっと知っていた大切なものを思い出せそうで思い出せない

何かが呼び起こされそうな感覚

憶えていないのに知っている。

心が揺れて仕方がない。

そんな感情になる場面です。

以下youtubeに歌がありました(こういうのはブログに掲載していいのかしら?)

わらべ唄、天女の歌は別べつではなく、わらべ唄の続きが天女の歌になっています。

動画では35秒のところからが天女の歌です。

 

歌詞になります。

わらべ唄

作詞:高畑勲 坂口理子 作曲:高畑勲

まわれ まわれ まわれよ 水車(みずぐるま)まわれ

まわって お日さん 呼んでこい

まわって お日さん 呼んでこい

鳥 虫 けもの 草 木 花

春 夏 秋 冬 連れてこい

春 夏 秋 冬 連れてこい

まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ

まわって お日さん 呼んでこい

まわって お日さん 呼んでこい

鳥 虫 けもの 草 木 花

咲いて 実って 散ったとて

生まれて 育って 死んだとて

風が吹き 雨が降り 水車まわり

せんぐり いのちが よみがえる

せんぐり いのちが よみがえる

 

天女の歌

まわれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ

めぐって 心を 呼びかえせ

めぐって 心を 呼びかえせ

鳥 虫 けもの

草 木 花

人の情けを はぐくみて

まつとしきかば 今かへりこむ

(あなたが待っていてくれると知ったら、

すぐにでもあなたの元へ帰っていきます。)

 

英語バージョン

Go round, go round Waterwheel, go round
Go round, and call Mr Sun

Birds, bugs, beasts Grass,

flowers and trees

Flower, bear fruit Bear fruit,

and die Be born, grow up,

and die Still the wind blows

And the rain falls

The waterwheel goes round

 

天女の歌

go round come round distant time

come round O’ distant time

come round call back my heart

come round call back my heart

Birds, bugs, beasts Grass,

flowers and trees

teach people how to feel

if I hear that you pine for me

I will want to return to you

I wil want to return to you

「まつとしきかば」の詳しい説明はこちらのサイトを

「まつとしきかば 今かへりこむ」という歌詞とその英語訳については

こちらのA Netlore Chase というサイトが素晴らしい解説をしてくださっています。

まつとしきかば 現代語訳:あなたが待っていてくれるから

英語のpine には、「松の木」という意味と、「待ち焦がれる」という意味があるそうです。

 

わらべ唄は地球目線、天女の歌は月の住人の目線

いろんなことが感じられる唄ですので、

まずは映画を観てご自身の感性で感じていただくことをお勧めします。

観る前に私の解釈を読んでしまうとそれが影響して

映画に没頭することを邪魔してしまうかもしれません。

存在は無くならない。わらべ唄から感じるスピリチュアリティ

※以下、私個人が感じたものですので、人それぞれ受け取る感覚が違うかと思います。

部分的に英語バージョンの方がしっくりときたので、

英語バージョンから感じたスピリチュアリティも織り交ぜて書きました。

初めて映画を見た時は気が付きませんでしたが

水車(みずぐるま)は地球のことを指しています。

地球が太陽の周りをまわっている様子ですね。

日が昇り、日が沈んでいく。

地球上のあらゆる生きものが、

太陽の力をもらい

一瞬たりとも止まることなく、

生まれ出て、育ち、老い、死んでいく。

そしてまた、

別のかたちを与えられてこの世によみがえる。

おなじようにまた育ち、老い、死んでいき

別のかたちを与えられて

ずっといのちはつづいていく。

いのち、存在は無くなることがない。

生きもの、生命あふれる地球に

私という存在もちゃんと受け止められている。

 

もう一度私を生きたい。かなしみを失うかなしみ。天女の歌から感じるスピリチュアリティ

ジブリ。かぐや姫の物語。スピリチュアリティ。わらべ唄

もう一回、還っていきたい

はるか昔にいた場所に

還っていって、私のたましいを呼び戻したい

地上のあらゆる生きものの生の営み

鳥、虫、獣、草、木、花。

人々の営みと息遣いを感じる

そんな営みの中に受け入れられたい

そこで精いっぱい生きたいという思い。

人は生き生きとした心の躍動を取り戻す。

「人の情けをはぐくみて」

「teach people how to feel」

teach people how to feel

この部分を直訳すると、「人に感じ方を教える」という意味になります。

「めぐって心をよびかえせ」のフレーズとも重なります。

人はたった一人でいても自分の心がどんな風に動くのかわからない。

自分一人しか存在していなかったら、自分のことが全くわからないのですね。

周りの自然や人との関わりの中で、いろんなことを感じ、時には思い通りにいかないジレンマなどにもさいなまれつつも、「自分」というものを知っていく。

「時」が存在し、あらゆるものが変化し、循環しているこの地球。

「時」があるから、自分以外の存在がいるから

関わり合いの中で

心が動き、喜びや悲しみ、怒り、無念、平安・・・

彩りある豊かな人間の心を味わう。

「穢れ」って月の世界ではそう言うけど

本当にそれは穢れなのか。

「悲しみ」「哀しみ」「愛しみ(かなしみ)」・・・・

失ってしまうことがこんなに辛いことだとは。

その「かなしみ」を感じるために

届かない記憶の中にいる

あなたの元へ帰りたい。

※以上、私個人の感覚で書いています。個人的に心の奥で「知っているかも」という感覚が呼び起こされそうになっています。

 

どうしてこんなに辛く悲しく切なくなるのか

かぐや姫の物語を観るたび、

特にこの「わらべ唱」と「天女の歌」

さらに付け加えるとエンディングで流れる「いのちの記憶」もそうですが、

それらの歌を聞くたびに

どうして懐かしいのにさみしく、切ない思いをいつも感じることになるのか。

この気持ちは一体なのなのか。

日本の「和」を感じさせるメロディということと、

絵から感じる「和」、

いろは唄や仏教の教えとも通ずるような「いのちの循環」。

たましいの部分が揺さぶられます。

いのちはずっと続いていく。

けれどその循環の中で

「あなた」という存在

「わたし」という存在を生きることができるのは

たった一度だけ。

それがどんなに尊いことなのかを感じさせてくれる

「かぐや姫の物語」からのわらべ唄、天女の歌でした。

※かぐや姫の物語についてはまた別の記事も作成中です。

読んでくださりありがとうございました。

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