スピリチュアリティの探究を深めたい人、人間の意識の構造や次元についての知識を深めたい人向けの瞑想の本を2冊紹介
瞑想やマインドフルネスの本はいまや世の中にたくさんありますね。
その多くが初心者向けであり、瞑想やマインドフルネスを通して集中力が高まって仕事が勉強の効率が良くなった、気持ちが落ち着いたなど、リラクゼーションの一つとして提案されているものが多いかと思います。
その段階を通り越した人にとっては物足らないなと感じることもあるでしょう。
なんのために瞑想するかというと、自分の人生を生きていくためです。カウンセリングやセラピーも他者の助けを借りた瞑想ともいえますし、瞑想は一人で行うカウンセリングやセラピーともいえるわけですね。
確かに集中力も高まりますし、物覚えも良くなり、仕事の効率も上がります。しかしその先、さらに瞑想を通して余計な思い込みがはがれ、自己探求が進むと、そのそもこの仕事を私は本当にやりたいのか、という根本的なことに向き合わざるを得なくなったりして、仕事の効率が上がったとしてもそれによって幸せを感じるわけでもないと気づいたり、しんどいことも出てきます。
そして本当にやりたいことをやって生きていくためにはどうすればいいか、
何かをスタートさせるには、それまでそうできなかった人は自分の思い込みを捨てないとスタートする勇気も持てないでしょう。
「安全でいたい」という気持ちが最大のブレーキになっていたりします。
安全でいたいがために、自分の人生を諦めてしまう。
怖いから。外の世界は危険だから。
でも、外の世界は危険というのは思い込みにすぎません。思い込みとはいえ強烈でリアリティがあるので、なかなか信じられませんが、その思い込みこそが自分の敵であり、何が自分の人生を生きられないように止めているかというと他ならない自分、そのような幻想を抱く自分ということになります。
結局は外の世界は自分の心の反映であり、どんなことが起きてもそれは自分の中にあったもののはずなのです。
そして本当は安全で安心、大丈夫が保証されているのですね、真実の世界、たましいの次元では。
しかしこの世的な価値観では安全とは言えないですし、病気や死も無くならない、犯罪もあるので、この世の目に見える価値観からしか考えられない人からすると嘘つき呼ばわりされてしまいますが・・・。
私自身もここまで書いておきながら抜け切れてないので、普段は不安や心配、恐怖の感情も普通に感じます。しかし上記のような信仰を持っているので、周りの人よりも不安や恐怖はずっと軽いのではないかと思います。
さて今回紹介させていただくのは、この2冊です。
本山博先生の「超意識への飛躍―瞑想・三昧に入ると何が生ずるか」
本山博先生の本は別のページでも紹介しておりますが、瞑想を続けていくとどのような変化があるのか、道筋がはっきりとわかります。
どの次元の身体で一体何が起こっているのか、気を付けることはどんなことなのか、本山先生ご自身の実体験から書かれています。
ちまたにあるような本には抽象的なことしか書かれてなくて物足らないと感じる方にお勧めです。
また瞑想が深まっていくと自分を縛っていた思い込みが少しずつはがれていき、より自由な心で生きられるようになっていきます。
そして「個」を超える際には強烈な恐怖を感じるとも書かれており、私自身もそのような体験をしたことがあるのでこの本が助けになりました。
「ああ、この世は存在しないんだな。全部夢だったのか。」
「次の一瞬で何もかも全ての存在が消えるのでは。」
言いようのない恐怖を感じましたが、その先に進んだのではなく、引き下がったので、その先の意識状態を知らないのです。
超えるには「生きても死んでもいいから神様お任せします。」という自分の存在ギリギリまで行かないとダメなようです。
私の場合は生死をさまよった際に自分の自我ではどうすることもできない、もうお任せするしかないといういわゆる「明け渡し」を体験しておりますが、2回目、3回目のクライシスの体験では引き下がったのでまだ中途の段階なのですね。
そしてもう1冊。
山田孝男先生の「瞑想のススメ」
こちらも、大まかな内容は本山先生の本と共通していますが、瞑想を深めていった際に現れるビジョンのことなど、細かい点では異なる所もいくつかあります。
瞑想が深まった際に高まる能力も個人個人で異なるのでしょう。この本には「霊眼」つまり「クレヤヴォヤンス」と呼ばれる能力だと思うのですが、詳しく書かれています。
人によって別次元を感じる能力は異なり、目で感じるのが得意な人、耳で感じる人、感情で感じる人、知的直観で感じる人、さまざまです。「目で感じる人」であれば似たような体験をするのかもしれません。
私の場合は目というより知的直観や感情の方が得意なのでこの本に書かれてあるようなビジョンはまだ見えたことがないです。
人の周りにオーラのような白いモヤが見えたり、黄色い網状の光が見えたり、丹光と呼ばれる光を瞑想時に見えたりしますが、まだ深まっていないためなのか、それが本当に心の深化と関係があるのかどうかも自分ではわかりません。
それよりも直観で感じるものの方が信頼できるのですね、私の場合は。
そしてこの本には「クライシス」についても書かれています。
p.253
第11章 霊的クライシスはなぜ起こるか
霊的クライシス(危機)とは何か
瞑想を続けていくうちに、私たちの内面はそれにともなって成長していきます。内面の成長とは、様々な精神的・霊的な体験をともないながら、意識が変容し拡大していくプロセスのことを指しています。
このとき、このプロセスがあまりにも急激であると、人によっては日常生活とのバランスをくずしてしまい、人生の危機に見舞われることがあります。
私の三十年以上にわたる瞑想人生の中でも、自分自身で数回このような経験をしたことがあるし、また、まわりの人たちの中にも何度かこのような出来事を見てきました。
クライシス(危機)の状態は人によって様々ですが、共通するパターンがあるようです。それは、意識の変容体験とともにリアリティ(現実感)も変化し、全く新しい価値観に目覚めるため、それまで続いてきた人生の意味や価値が見失われることから起こってきます。
またクライシスの種類、その乗り越え方も書かれてあります。以下簡単に抜粋します。詳しく内容を知りたい方はぜひ本を手に取ってお読みください。
p.255 クライシスにはどんな種類があるか
(1)内面の成長と肉体の浄化のアンバランスから起こる場合
(2)知覚の変化と常識の間の葛藤からくる場合
(3)超越的な意識体験のために現実意識に降りてこられなくなった場合
本には上記の詳しい説明と、その乗り越え方も書かれています。
読んでくださりありがとうございました。
クライシスに関連したワークショップも開催します。
スピリチュアリティが深まるにつれ、周囲との関係で生まれる「違和感」について。
コロナのことがあるので定員は6名と少人数で行います。
今ここで感情を開示するグループワーク 2020年8月28日・9月11日開催