最近はなかなか一人で深く瞑想をする時間が持てなくなっています。
日に15分くらいできたら良いほうです。
丹光が見えてきてリラックスはできるのでセルフケアにはなっていますが・・・。
15分でも心身の健康を保つのに繋がると感じています。
瞑想は雑念だらけになるから難しいという人がいますが、私もいまだにそうです。
雑念が出るという現象もまた、それらが浄化されているということでもあるので、雑念が出るからダメと判断せずに、途中のプロセスで当たり前のことなのだと理解していると続けやすいですね。
私も最初の数分は今気になっていることなど、色々な雑念が出てきますが、次第にぼんやりした光「丹光」が見えだし、クラシック音楽を聴くような感じでリラックスできてきます。
目をつぶって考え事をしているのと同じなのに瞑想と呼べるの?と私も最初は思いましたが、気づきやインスピレーションは瞑想後しばらく時間が経って日常生活を送っている時にやってきます。
最近のように瞑想時間が短いと気づきが訪れる機会もあまり無くなりましたが・・・・。
瞑想を続けて感じる効果は、直観や洞察力が磨かれるということ。
真理がわかったり、自身の心の動きや他者の心の動きをより察知できるようになったことですね。
さて、ある程度深く瞑想ができている時は、半分寝ているような感覚で、時には映像が見えることもあります。
ぼや~っとした感じで、粗い映像の時もあれば、肉眼で見るように、まるでそこに物体があるかのように、まぶたの裏にはっきりと見えることがあります。
内容はいつも何の脈絡もないようなことです。
昨日の体験は瞑想をしたわけではなく、寝入りばなに半分寝ていて半分起きている状態で、まぶたの裏に見えました。
自分が寝ているという状況を理解していて、その中でまぶたの裏に映像が映し出され、音も聞こえていました。
意識状態は眠気が強く、映像もほとんど夢を見ているのと変わりませんでしたが、夢とは違いストーリーは無かったように思います。
眠いながらも「これは夢だ」とわかっていたので、見たい映像が見れるか意識をコントロールしようとしましたが、思うように行きませんでした。
勝手に景色が変わっていきました。
見たいものが見れると嬉しいだろうなと思います。
夢の中で体験したいことを体験できるのも楽しそうですし。
現れる映像をコントロールできたら、きっと現実世界での願望実現の可能性も高まるのでしょうね。
今回は短いですが以上です。
読んでくださりありがとうございました。