心が外の世界を創っている、外の世界は心に抱えているものが映し出されているのだと言われています。
同じような悩みを繰り返すのも、それは外の世界に働きかけて変えたように見えていても結局のところ心が変わっていないため、繰り返すということ。
心理学で「トラウマの再演」と言われるようにDVや虐待によって心が傷つき、その加害者と別れることになったとしても、次もまた同じように自分を傷つける人と一緒になってしまうという風に。
新たな関係もまた、過去の体験の焼き直し現象のように、別の人物を通して同じことが繰り返されるのですね。
そして多くの場合、「私が悪いんだ」「私がこの人に気に入られるよう、失敗しないように努力しないと」と自分を責めたり自分に非があるように思い込んでいることが多いのですね。
これは解決にはなりません。
自分に尊厳を取り戻し、自分を癒すことが必要なのに逆をやってしまうのです。
あまりに酷い場合、逃げたり別れたりと物理的な距離を置くことが必要になります。
生命を守るためにこのように行動を起こすことも必要ですが、心が変わっていないことにはまた繰り返されます。
これは例えですが、ある職場でパワハラを行うAさんがいます。
Aさんは誰にでもパワハラを行うのではなく、Bさんにだけきつく当たります。
ある日Aさんはその職場を退職。
Aさんが退職したことにより、Bさんはほっとします。
しかしAさんが抜けたことで業務が一時的に混乱。
もともとAさんの下についていたベテランのDさんのストレスも溜まっていきます。
DさんはBさんには優しかったのですが、ストレスにより、Bさんにきつく当たるようになります。
Bさんのちょっとしたミスを、人格を否定するかのようにきつい言い方で注意。
Bさんはまた攻撃される側になってしまいました。
と言う風に、Bさんの中に癒されない傷がある、Bさん自身が実は自分を責めている、だから他人から感情的に起こられたり、パワハラを受けるということなのですね。
もちろん人格を攻撃する側にも抱えている問題はあるのですが、ここはBさんに焦点を当てて説明しています。
Aさんがやっていた「役割」を今度はDさんがやっているということなのです。
全く無意識に。
Bさんの抱える心の問題は
・理不尽な攻撃をされても言い返すことができない
・一人で耐えて我慢してしまう
・本当に思っていることを伝えられずに、飲み込んでしまう
といったことになります。Bさんが自分に尊厳を取り戻し、自分を愛せるようになったら人間関係は確実に改善されます。
(これは私自身、自己受容がかなり深まっており、ここ数年は人間関係では悩んだことがないから言えることです。仕事をはじめ色々な団体で活動してきましたがパワハラにはあったことがありません。複数の人が「パワハラにあってきた」という場でも私は気に入られるのです。学生時代~若い頃は人間関係で悩みまくっていました。今のようなことは無かったので自己受容と関係していると言えましょう。)
かなり簡略化して書きましたが、似たような場面を体験したことがあり、一例として出してみました。
他にも、これはトラウマの例ではありませんが、グループの機能・役割の中で欠損があった場合、それを補うような働きがあるという例です。例えば家族の中で「お母さん」が亡くなるか出ていくかして、家族の世話をする人がいなくなったとします。
すると誰か別の人物、例えば長女などがお母さんがやっていた家事や下の子の面倒を見るなど、「世話をする人」として代わりの人物が現れるのですね。現れるというか、世話をする人がその集団にいなくなったので、誰かが代わりにその役割をすることになる場合が多いのです。
家族などの集団の力学というのか、小さなグループから大きなグループまで、グループ自体もまた「一つの生命体」のようであり、そこに属する個人個人が無意識に必要な役割を演じているというわけです。不思議ですが。
このようなことを学ぶと、個人の意識というのは自分一人で色々と決定しているように感じるものの、結局は場の力みたいなものによって「決定させられている」「動かされている」ように思えてきます。
個人としての感情、感覚、考えを持っているようで、それらは個人のものではなく、全体からのものなのでしょう。
到底そのようには実感しないのですが。
今回も読んで下さりありがとうございました。