ソウルメイトやツインソウルといった言葉をたびたび耳にします。
特に恋愛においてロマンチックな想像をしてしまうイメージですが、この「ソウルメイト」「ツインソウル」についても、もしかしたら同じことを言っているのでは?と思った本があります。
それが私の尊敬してやまない本山博先生の本「神秘体験の種々相〈2〉―純粋精神・神との出会い」に書かれていました。
この本は平成11年(1999年)に出版されています。今はソウルメイトやツインソウル、ハイヤーセルフや引き寄せの法則などスピリチュアルと呼ばれる用語は多くの人に知られるようになりましたね。何年も前から「真理」としてちゃんと言われてきたことなんだなと思えてきます。
本山博先生は30年前、40年前の本ですでに「引き寄せの法則」と同じことを語っておられます。もちろん「引き寄せ」という言葉が使われているわけではないので、一見気が付きません。
本質的には同じことを述べられている本がいくつかあり「密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法」はその中の1冊でもあります。
グループソウルとソウルメイトの図
グループソウルの説明については以下の記事をご覧ください。
関連記事:グループソウルと魂の浄化について。江原啓之さんの説明を参考にしました。
ソウルメイトはあなたにとって「イヤな役」をしていることもあります。
人間としてこの世に生まれ、魂は汚れたりきれいになったりを行き来します。
浄化が進んでいない状態でもソウルメイトと呼ばれる人たちと出会ってはいるのでしょうが、なかなか気が付かないのですね。
例えば自分を成長させるためにソウルメイトが「イヤな人」の役を演じていることもあるのですが、心のフィルターがかかっているため、魂のつながりのある人だなんてとても思えないのです。イヤな人でしかない。
それが浄化が進み、気づきが深まると「ああ、そうだったのか」と心の深い部分で気づくのです。
同じ波動・波長のものが引き合う。浄化が進むと自分と似たような人と出会いやすい理由
江原さんの本でもよく出てきたのが「波長の法則」。
自分の出している波長・波動と同じものが現れるということ。
人間関係もそうで、「自分ってだめな人間だ」と心の中で思っていると、自分を否定し、傷つけてくる人が現れ「やっぱり自分はだめなんだ」とますます思うようになるか、そこで「いや違う」となるか。
魂がある程度浄化されている、汚れが溜まっている関係なく、外の世界は心の反映というわけです。
本来はみな純粋なのですが、「思いこみ」というフィルターがかかっているので、そのフィルター通りに現実を感じてしまうということですね。
浄化が進むということは、その思い込みが外れていくことを意味します。
思い込みが外れていくと、本来の自己、純粋な魂としての自分が現れるようになっていきます。
当然、本来の自分の使命や役目、自然と行えて、他人や社会全体の役にも立つことに向かって進んでいきます。
人によって社会的に大きな影響を与えるというのが使命の人もいれば、温かい家庭を作る、たとえ動けない病気を患っていても自分らしく過ごすということがその人の使命であったりします。
神さまから与えられた役目を行う割合が増えていくと、当然同じような分野で活動している人だったり、自分を支えてくれる人だったり、その役目をやっている自分の存在そのものを受け入れ、認めてくれ、大事にしてくれる人が必ず現れてきます。
これもまた、自分の波動が周囲に反映されているとも言えますね。
上の図では、魂の浄化を表しています。
下に行くほど「思い込み」にとらわれた状態であり、迷いの人生を送っている状態です。
魂の浄化をわかりやすくするため、上に行くほど色を明るくしています。
浄化が進むと、本来の自分の役目を意識し、活動をするようになります。
ソウルメイトやツインソウルと出会う時期が自己受容の時期と関係する理由です。
鏡となって現れますが、より純粋な部分を映し出す段階に来ているので、まるで自分のように感じるのですね。
(※出会ったからといって即幸せにつながるかというと、そうでもなく、むしろ試練と背中合わせだったりします。
大切な人の死別や大きく傷つく体験などとセットになっていることが多いようです。支えとなる存在がいるから試練に遭う、支えとなる存在がいるから耐えられるということもいえるでしょう。)
元が同じグループソウルなので自分ということもできるのです。身体は別であっても。
そしてそれは安心感だったり懐かしさだったりという感覚で受け取っていることが多いです。
本山先生の本にも同じことが書かれてありました。
本山博先生の本「神秘体験の種々相〈2〉―純粋精神・神との出会い」から
p.130
或る程度自己執着とか、自分の身体にひっついて動いているだけの状態から離れた魂になると、複数の魂、複数の身体をもった人間として同時に存在できるのです、一人の人間としてだけではなくて。
普通の人はみな、自分の身体をもった一人の人間としてしかおれない。
しかし或る程度魂が物の力から自由になったら、たとえばAとして日本にもいるけれどもBとしてアメリカにもおれるようになるし、自分(A)が自分(B)に会うこともあるわけです。
すると、AとBは大いに合うわけです。互いに、スッと繋がってしまう。
しかしともかく身体に関しては互いに別で、そしてそれぞれ別の身体につながって動いている感覚の仕方も別だから、アメリカ人に生まれたAはアメリカ人のような考え方、感じ方をするし、日本に生まれたBは日本人のような考え方、感じ方をするが、基本的にはAとBとは非常に合うのです。
これらの例で、生まれ変わっている、しかし自分はまだ生きている、そういう場合魂はいったいどうなっているのだろうかということですが、AとなりBとなるその元の魂は、今Aという人間とBという人間になって動いているけれども、同時に、AやBを超えたところにもいるのです。
そういう魂がもっと、或る意味で無限大になったようなところで考えれば、日本の魂というか、日本の神が日本の一億ぐらいの人間になって同時に生きているけれども、また同時に、これらを全く超えたところで存在し、皆を支えていることがわかってもらえると思います。
そういうふうな神霊(プルシャ)の境地にもし誰かが達したとしたら、その人は、自分がいるから日本が成り立っているのだという自覚がどこかでできるのです。
他人に言わなくても、そういうふうに本人は思う。そして実際にそういう人がお祈りをすると、いろいろなことがその祈りのように動くようになる。
人間とは、真理とは、存在とは一体何なのか。
人間はみな深いところでは神様、仏様、宇宙と呼ばれる意識に繋がっている。
本当に不思議です。
読んでくださりありがとうございました。