悲しみ比べ
悲しみ比べという言葉を聞いたことはありますか。
自分と他人を比べて
あの人より私の方が辛い、大変。
あの人より私の方がまだまし。辛いなんて言いにくい。
自分と他人を比較してしまうがゆえに辛くなってしまうのですね。
遺族会など複数の人が集まっての分かち合いの場では
参加者同士がそのような比べ合いをして傷つけたり傷つくことがないよう
誰を亡くしたかによって時間帯や部屋を分けているところがあります。
私の関わっているところでも、
・お子さんを亡くした方
・お子さん以外のご家族を亡くした方
・自死遺族の方
と分けて対応しています。
また私が代表を務める天使ママの会の方では
他にお子さんがいる方
他にお子さんがいない方
という風に時間帯を分けています。
人間はみな比べているからこそ抱く辛さがある
もともと人間はだれかと比べてああだこうだ言い、
いろいろな考えや感情が沸き起こります。
もっと頑張ろうとか
どうせ私はとか
そんなこともできないのかとか
どうしてあいつばかりで自分はいつも認めてもらえないのかとか。
このような苦しい気持ちを抱くことは日常生活で普通に体験することですが、
大切な人を亡くしたというような
とても大きな喪失だとなおさら
人と比べてしまうということも起こりやすくなります。
全員が全員悲しみ比べをしてしまうということではありませんが
人によっては普段よりもそのような感情が強まることがあります。
大切な人を亡くした悲しみに加え
幸せそうな人を見ると嫉妬してしまい
自分でも嫌だけれど腹が立ってしようがない、
人を恨んでしまう
というのは多々あることで当たり前の感情です。
ただ、このような感情を普段家族や友人に言うと
でもね・・・と正論で返されることが多くて
気持ちを受け止めてもらえずに
余計にもやもやしてさらに我慢しなければならなくなってしまいます。
また自分の方が他の人よりも軽い、
だから悲しんでいたらダメ。
と本当はとても辛いのに悲しみを自分で抑えて我慢してしまうこともあります。
本当の気持ちが言えずずっともやもやしたものが溜まっていくと
身体や精神の症状となって表出することもあります。
話の内容は
人と比べてどうのこうの、
あの人はどうのこうの、
というものですが
言いたいのは他人のことではなく、
自分の感じている苦しさ、くやしさ、嫉妬などの気持ちです。
そのような話を聴くのに慣れていない人であれば
「人と比べてもしょうがない」
「あの人だってちゃんとやってるんだから」
「人のことを悪く言うと自分に返ってくるよ」
など、本心からの訴えが表出する前に話をさえぎり、話す側の気持ちをねじ伏せ、しかも自分は良いことを言っていると思っていたりします。
あの人のことが問題なのではなく、自分を聴いてほしい。
辛いと感じているその気持ちそのものを受け止めてほしい。
比べてしまうというその根底にあるもの、感情をわかってほしい。
悲しみ比べの感情を訴える際、時には耳を背けたくなるような言葉を発してしまうこともあるでしょう。
しかし、本当はその言葉の奥に本心の訴えがあります。
耳を背けたくなるような言葉が出てきたとしても、その奥にある本心からの言葉が出るまで信じて待つことも求められます。
ケア提供者はこのような話を個別で聴くことはできますが
グループでの分かち合いとなると少し事情が変わってきます。
というのは同じように痛みを抱えている参加者が他にもいるのですね。
人と比べてしまい、辛いという話をする際、
聴いていた参加者が我慢できなくなり
「それは違う!」などと途中で話の腰を折る場合があるということです。
参加者の生育歴やビリーフによっても
やはり自分の辛いところを突かれると話が聴けなくなることがあります。
ファシリテーターは
「あなたのことを言っているのではないですよ」と
わかってもらえるように伝えないと
自分が攻撃されたわけでもないのに
傷つく人が出てきてしまいます。
そのため、分かち合いではグループを分けています。
基本的にどんな気持ちでも話していただいて結構ですので
普段周りの人と比べてしまってしんどいという気持ちを出すことは
なんの問題もありません。
誰かを傷つける行動や言動を実際に起こすことには反対しますが
「傷つけたいくらい憎いし苦しい」という気持ちは
抱えずに話して受け止めてもらうことでらくになっていきます。
実際に誰かを傷つける行動を起こさないためにも必要です。
家や職場では言えないことだからこそ
遺族会などの安全な場があります。
バックグラウンドが異なる参加者同士では
ときには発言者の意図しないところで
誰かが傷ついてしまうこともありえます。
このようなことができるだけ起こらないよう
グループを分けておくことは大切だと言えるでしょう。