諭されたり正論を言われると「誰もわかってくれない」という諦め・無力感・虚しさ・自己否定を強める

傾聴。アドバイスNG。正論。諭すこと。グリーフケア

以下は私が以前英語の授業で使っていた「英語で読む日本昔ばなし」のテキストの日本語訳から。

グリーフケアの講座でもロールプレイの教材としてよく使うのですが、

お坊さんがNGな「カウンセラー役」と考えてもらえればと思います。

カッパの背景としては、自分は亀でも魚でも人間でもないというアイデンティティクライシス、それこそ「スピリチュアルペイン」と呼ばれるような心の痛みを抱えています。

自分の存在に対する痛みです。

そのため人間を次々に襲い、殺すという行為を繰り返していたのでした。

お坊さん : お前はなぜ人を殺(あや)めるのだ。なぜそんなに人を憎むのだ。

カッパは返事をしません。

お坊さん : ほら、もう一本(きゅうりのこと)あるぞ。私の質問に答えれば、これもやろう。

カッパの目に寂しげな表情が浮かびました。

カッパ : 人を憎んでいるわけじゃない。

カッパは言いました。

カッパ : おれは自分のことがいやなんだ。カッパでいることが。おれは人間でも、魚でも、カメですらない。おれはつまらないヤツで、ひとりぼっちだ。時々寂しさに耐えられなくなる。

そしてカッパはお坊さんのことを見ました。

カッパ : どうしたら、人間になれるか教えてくれないか。

そう聞いたのです。

お坊さんはカッパの質問を聞いて驚き、かわいそうに思いました。

お坊さん : お前が行いを良くすれば。

お坊さんは言いました。

お坊さん : 人を殺(あや)めるのをやめて、人の役に立つことをすれば、人間に生まれ変われるだろう。

カッパ : なぜそんなことをしなくてはいけないんだ。

カッパはむっとして言いました。

カッパ : なぜおれが人の役に立つことをやらなくてはならないんだ。人間はおれになにかしてくれたことは一度もない。おれが嫌いなんだ。醜いだとか異常だとか言って、村から追い出すんだ。

お坊さん : しかし、お前に親切でない人たちにおまえが親切にすれば、その親切さがより特別なものになるんだ。親切になるのに理由などいらない。

カッパ : あんたに何がわかるんだ。

カッパは吐き捨てるように言うと、キュウリを拾って霧の中に消えていきました。

 

下線部「どうしたら人間になれるか教えてくれないか」というセリフに込められたメッセージをつかむという題で毎回ロールプレイをやっていました。

ちなみに英語の授業でもここを掘り下げることで

単なる英語の授業よりも登場人物の心理に深く入り込み、面白い授業になりました。

お坊さんはカッパの問いかけに対して「正論」を言ってしまったのですね。

カッパの心の叫び、気持ちをまず受け止めることができていなかったのです。

だからわかってもらえないと思ったカッパは

最後「あんたに何がわかるんだ」と吐き捨てるように言って去っていったのです。

(※結局カッパはこの後改心することにはなるのですが、ロールプレイの題材としてここはとても良いやりとりなので抜粋しました。)

これは結構日常でやっている人が多いと思います。

親子関係や先生と生徒など。

まあそれが親であり先生でもあるということでもあるのでダメではないですが

こんな対応をされた子どもは「わかってくれない」という思いを強めるでしょう。

信頼関係もできていない状態で、相手の気持ちに寄り添うというより

自分の考えを押し付けていますね。

グリーフケアやスピリチュアルケア、傾聴の場面ではNGな関わり方です。

 

 

「自分がもっと変わらなきゃ」

「欠点を直してもっと人格を高めなきゃ」

そう思ってしまうということはまだまだ心の中に「痛み」を抱えているのかもしれません。

あんなこと、こんなこと・・・過去に人を傷つけるような悪いことをいっぱいしてきた。

毎回反省しろと言われて、いろんな本を読んだり立派な人の体験談を読んだり

辛い目に遭った人の話や、過酷な状況の中一生懸命生きている人のドキュメンタリーを見て

心が動くこともあるけど・・・・。

確かに心は揺れる時もあるが、一方で

本当は「ああ、やっぱり誰も自分のことを理解してくれないんだ」という思いにさいなまれることもある。

自分はどうせ誰からも関心を持ってもらえないという気持ちがますます強まる。

どこそこの誰だれさんの話はいかに立派で、良いことを言っていて

聴く人の心を打つということもわかる。

だからその人の話を聴いて、あるいは本を読んで

「あなたの心にも何か動くものがあったでしょう」

「他者の心の痛みについて何か感じるものがあったでしょう」

「あなたのやったことがどれほど人を傷つけたか、理解しなさい」

「あなたもどれだけの人に支えられて今まで生きてこられたのかがわかったでしょう」

「自分の人生についてもっと真剣に考えようと少しは思ったでしょう」

と言いたいのかもしれないが・・・・。

それって押し付け

そりゃあ、そういう人たちは立派であることに変わりはないし、

多くの人の心を実際に動かし、

さらには行動にまで変化を与えていることに変わりはないけど。

だけど、自分には半分しか入ってこない。

どうして自分のことは誰も気にかけてくれないのに

人の話を聴かないといけないのか。

今まで自分の話に真剣に耳を傾けてくれる人なんていなかった。

「辛い」と訴えても気持ちを受け止めてもらえず、真剣に関わってくれず。

そのせいで心が荒れて人を傷つけたり変な行動を起こしても

ただ禁止したり注意するのみ。

頭ごなしに怒られたり怒鳴られたりすることがほとんどで

誰もその奥にある気持ちを拾い上げようとしてくれなかった。

ちょっと偉い立場の「先生」たちが諭したり矯正しようと教育をするが

余計に腹が立つ。

「お前らに何がわかんねん!」

教育として題材に使われている人物の体験談は

どれも自分より愛情に恵まれた環境で生きてきた人のものではないか。

その体験談の中には生死に関わる話や想像を絶するような話も確かにある。

自分にはそんなインパクトのある体験はないし、あったとしても

そういう話を持ち出されても

こちらとしてはますます自分が小さくなったような気がして

なんの取り柄もない自分、それどころか欠点だらけでいいところが一つもない自分というものを

より一層自分の心に焼き付けることになる。

はいはいはい、全部自分が悪いんですよ・・・どうせ。

 

小さいころから大切にされて親の注目を浴びて

関心を寄せられて

うまくできたときは褒められて

失敗しても怒られることはない。

何かにチャレンジしようとすれば応援や励ましは当たり前。

そんな精神的な栄養に恵まれた環境で育った人の話なんか聴きたくない。

うんざり。

「ああ、またか」と思う。

そういう人が、どん底の地獄のような辛い目にあったとしても支えてくれる人はいっぱいいるでしょう。

そのことを目にするとますます自分との差を感じていたたまれなくなる。

 

どうしていつもいつも自分の話は聴いてくれない?

どうして誰も自分のことに興味関心を向けてくれない?

どうやったら自分の存在をわかってもらえる?

どれだけ今まで苦しんできたのか、今どれだけ苦しいのか、どうやったらわかってもらえる?

どこまでひどいことやったらわかってもらえる?

 

 

誰かのために優しくしたり、正しい行動の大切さはわかっていても

自分自身が癒されてなかったらなかなかそこまでで力を注ぐことはできません。

まずは自分の心から。

自分の心にいっぱい苦しみを抱えている状態で

正論を言われる・注意される・諭されると

ますます今まで満たされなかった色々な思いや辛いこと、人への恨みなどの感情にとらわれて

余計にしんどくなってしまいます。

ますます人を信用できなくなり、人に対しての失望も強まります。

また自分を責める気持ちや自己否定の念もより強くなるのではないでしょうか。

 

諭したり、正しい方に導いたり、役に立つのは

ある程度心が癒されて、余裕のある場合で信頼関係がベースにある場合。

人に何か注意されたり諭されたりして心がざわついた場合、

その言葉が余計自分をしんどくしたという場合、

心の中にはまだまだ癒されていない部分、

傷ついて置き去りになったままになった部分があるということかもしれません。

以下の本も参考にしました。
反省させると犯罪者になります (新潮新書)

夜回り先生と夜眠れない子どもたち
 
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