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かぐや姫の抱えるスピリチュアルペイン。ジブリ映画「かぐや姫の物語」

かぐや姫の物語。ジブリ。スピリチュアルペイン

大事なことなのにお茶を濁して自分の本心をごまかしていること、ありませんか。

ここ2,3年私がずっと書きたかったジブリ映画「かぐや姫の物語」におけるスピリチュアリティについて綴っていきます。

関連記事:かぐや姫の物語「わらべ唄」「天女の歌」にみられる神秘性とスピリチュアリティ

 

今回の記事もネタばれになるかもしれませんので、まだ観ていない方は先に観ることをお勧めします。

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かぐや姫が抱えるスピリチュアルペイン

 

誰もが知っている昔ばなしなので、ストーリーについては説明しませんが、ジブリ映画で描かれているかぐや姫は従来の物語に描かれているような「淡々としたかぐや姫」イメージではなく、感情表現豊かな天真爛漫な女の子として描かれています。

幼少期は田舎でのびのびと、野や山をかけずりまわるようなワイルドな生活をしていました。

都に来て間もないころのさがみ(教育係)とのやりとりからもかぐや姫の性格を垣間見ることができます。

かぐや姫の眉を抜き、お歯黒を塗ろうとするさがみとのやりとりの場面です。

かぐや姫:「いやいや!いやよ!」

さがみ:「そのままでは、高貴の姫君にはなれないのですよ。」

かぐや姫:「眉を抜いたら、汗が目に入ってしまうわ!」

さがみ:「高貴の姫君は汗をかくような はしたない真似はなさらぬもの。さ。」

かぐや姫:「お歯黒もイヤ!口を開けると変よ!それじゃあ、口を開けて笑うこともできないじゃない!」

さがみ:「高貴の姫君は口を開けてお笑いになったりしないものです。」

かぐや姫:「ばかみたい!高貴な姫君だって、汗をかくし、時にはゲラゲラ笑いたいことだってあるはずよ。

涙が止まらないことだって、怒鳴りたくなることだってあるわ!」

さがみ:「いいえ!高貴の姫君は・・・。」

かぐや姫:「高貴の姫君はひとではないのね。」

こんなやりとりをしていました。

高貴の姫君も人間。普通に笑ったり怒ったり、泣いたり、人間として当たり前の在り方でいられなのはおかしい!と言っていますね。

その後、髪上げと裳着(もぎ)の儀式がしきたり通り行われ、かぐや姫の名付けの宴が大勢の人々を招いて盛大に催されました。

三日三晩宴が行われていたということですが、一体誰のためのお祝いなのかわからない、ということをかぐや姫はつぶやいています。

映画を観ていただくとわかりますが、この宴が行われている最中も深い痛みをかぐや姫は感じることとなるのです。

以来、かぐや姫は以前のようにふざけることもなくなり、自分を抑えて高貴の姫君として手習いに励むようになったということです。

父様(翁)はかぐや姫が幼い頃から、

「どうすれば将来この子は幸せに暮らせるのか」

「なにがこの子にとって一番幸せなことなのか」

いつもいつも考えておりましたが、自分の抱く「幸せ」のイメージをかぐや姫に押し付けるようになってしまいました

かぐや姫は身分の高い人たちから結婚を申し込まれたり、帝からもアプローチを受けます。

裕福で高い身分のいわゆる成功者とされる男性たちから求婚され、そのうちの誰かと結婚するということは当時であっても現代であっても、一見安定した幸せを約束されたようにも見えます。

当時(今も若干)「それが女性の幸せ」とされていた世間の価値観でもありました。

父様(翁)は特に、かぐや姫が小さい時から、かぐや姫が本当はどうしたいのか、本当に求めているものは何なのか、翁は自分の「思い込み」「期待」に惑わされてかぐや姫の心が見えなくなってしまいます

今目の前にいるかぐや姫ではなく、ああなってほしい、こうなってほしいという翁自身の理想、未来の理想を押し付けるようになったのです。

 

一方、母様(媼)は常にかぐや姫の心の痛みを傍で感じ取ってわかっていました。

「私は誰とも添い遂げない」自分を貫こう、ぶれずにいようとする態度のかぐや姫。

しかし、そうしようとしても時には気持ちが揺れ動いてしまう危うさも抱えていました。

自分の弱さから「ほんものに見えるにせもの」に心奪われそうになったこともありました。

「この人はありのままの私を求めてくれているのでは?」と、そのままの自分、ありのままの自分を受け入れてほしいとの思いから心惑わされ、自分を見失いそうになった時もありました。

常に母様は本質を見極め、かぐや姫のたましいの叫びにずっと寄り添い続けました。

 

かぐや姫の叫び。かぐや姫の抱えるスピリチュアルペイン

子どもの頃は目の前のことに一生懸命いきいきと生きていたかぐや姫。

しかし都に来てからというもの、自分の本心を押さえつけ、にせものの楽しみで心をごまかすなど、ずっと空虚な気持ちで過ごしてきました。

ありのままの自分で生きていきたい、子どもの頃のようにただ心赴くまま、生きていきたかった。

けれどそれは叶わない。以下、私が解釈したかぐや姫の心の叫び、スピリチュアルペインです。

私の解釈なので、人によって異なるかと思います。映画を観ていない人はぜひ観ることをお勧めします。

 

私は絶対に誰とも一緒になりたくない。

みんなが抱く「理想」にわたしを当てはめる。

わたしが「宝もの?」それって喜ぶべきこと?

わたしは物なの?

欲望を満たすため?

見栄を張るため?

好奇な目でみられたくない

「わたし」と一緒にいたいんじゃない。

自分の欲望を満たしたいだけでしょう。

「わたし」と一緒にいたいって言ってほしい。

全部にせもの。

本当は子どものころのように本心のままに生きていきたい。

懐かしいふるさとに帰りたい。

なんでもないことに喜んだり、怒ったり、悲しんだり。

ただただ目の前のことに素直でいたかった。

誰も本当のわたしを見ようとしない・・・・。

・・・違う、見ようとしなかったのはむしろわたしの方だ。

父様があんなに一生懸命、まるで自分のことにように考えてくれたことに対しても、

もっと正直に本当の気持ちを心を込めて伝えたらきっとわかってくれたはず。

あんなに愛されていたのに、わたしはただただ、心を閉ざしてばかりいた。

どうして真正面からぶつかっていくことを諦めたんだろう。

どうしてこの地にやってきたのだろう。

どうしてこの地に来たいと思ったのだろう

この地のいったい何がわたしを惹きつけてやまなかったのだろう?

わたしは何をしたかったの?

どうありたかったの?

どうすればよかったの?

ああ、私はただ生きるために生まれてきたんだ。

それなのになぜ・・・。

今ごろそれに気が付くなんて。

 

かぐや姫の物語については他にもあります。

 

 

「生きる」ということについて掻き立てられるような作品です。

自分の生き方も問われます。

一体何のために生きているのか。

今やっていることは誰かの幸せにつながるのだろうか。

今我慢していることは何の役に立つのだろうか。

大事なことなのにお茶を濁して自分の本心をごまかしていること、ありませんか。
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読んでくださりありがとうございました。

 

 

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