2007年に生死をさまよい、スピリチュアルな次元の存在をありありと感じました。その際、頭に電流が走り、啓示のように使命のビジョンが見え、今もなおその使命に向かって精進しています。

「悲しみを抱えたまま生きていく人」を支えるグリーフケアの活動と、「わたしだからこその生き方をしたい」を支えるスピリチュアルケアの活動。

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グリーフケア 。気持ちの深いところを出せるかは聴き手の態度ひとつ

逃げない覚悟。グリーフケア。スピリチュアルケア。

逃げない。一緒にいる覚悟

大きな悲しみ、苦しみを抱えている状態の人は

自分の心のうちを「誰だったら話せるか」ピンとくる方が多いです。

そうでない方ももちろんいますが、

大きく辛い出来事があったときに、誰かれ構わず話してしまい

その結果予想外に傷つけられた体験などを経て、

打ち明けることに対して慎重になることが多いです。

またこれには生育歴の影響も強く、

私のように元々幼少期から気持ちに寄り添ってもらうことが少なかった人、

周りの空気を読んで、自分が今話していい状況なのか、

相手は自分の話に興味を持って聴いてくれているのか

ということに関して敏感にならざるを得なかった人は特に

「誰がの話を聴けて、誰が聴けないか」という勘が働くようになります。

いわゆる「鼻が利く状態」です。

そしてその勘は当たることがほとんどです。

「この人に話ししたいかな?」

「この人に言って励ましやアドバイスされるだけだろうな」

「この人に言ってもぽかんとされるだけだろうな」

「この人は共感しつつも逃げ腰になるだろうな」

という風に、聴き手側が聴き手のエゴを満足させるだけの聴き方になるというのが予想できてしまいます。

つまり聴き手側が逃げるのです。

そんな辛すぎる話、聴きたくない。直面したくない。

もっと明るい話してよ。

これは同時に話し手の問題でもあり、話し手の「あきらめ」という問題もあるでしょう。

「この人はどうせ聴いてくれないんだろうな」

人に対して期待が持てない状態。

聴き手が逃げたとしても直面させるだけの強さが話し手にあればいいですが、

大きな苦しみを抱く以前、すでにもう「寄り添ってもらう体験など無かった」という目に見えない喪失を抱いている場合、

聴き手に対して「もっと私に向き合ってよ」などと言える精神状態ではないということです。

本来はこの「あきらめ」癖を克服すれば

コミュニケーションのパターンが変化していくのでしょうが、

辛い状況にある人にとってそのようなことに取り組む余裕はありません

 

今、最も辛く感じていること、

今、最も聴いてほしいことを

ちゃんと逃げないで聴いてくれる人

怖いと感じながらも一緒にいてくれる人

が必要なのです。

 

「傾聴」「オウム返し」「ミラーリング」といった技術を学んだ方も多いでしょう。

しかしそれらはあくまで道具であり、

道具として使えば役に立つでしょうが、

道具に使われている状態であれば本末転倒です。

危機的状況では道具はあまり役に立たないです。

これは私が話を聴いてもらった、そばにいてもらった体験から言っています。

「この人と一緒にいたい」

そう思ってくれて、逃げないでいてくれた人がいました。

目の前の人と一緒にいたいか

はっきりいってこの気持ちさえあれば、

何を言っても、何も言わなくても全部が正解です。

シンプルで簡単、だけど同時にとても難しい。

「逃げない」まさに自分の態度を問われます。

 

 

読んでくださりありがとうございました😊