目の前の人を大切な人として接する。
当たり前のことですが、これができると日常生活がうんと楽しく、喜びに包まれたものになります。
でも、言葉では簡単そうに聞こえますが思った以上に難しいこともありますね。
人をモノみたいに扱っていない?
人をモノみたいに扱っていない?というのは
自分のエゴを満たすために、目の前の人を利用していないか?という意味です。
例えば以前こんなことがありました。
夫と二人で入ったレストランで、店員の態度があからさまに悪かったのです。
早く仕事を終わらせて帰りたい、そんな意識が伝わってきたのです。
愛想も悪いですし、料理を出す際のお皿の置き方だもの乱暴で、心の中で思っていることが客である私たちにダイレクトに伝わってきました。
このような体験は一度だけではなく、何度かあります。
一人で入ったお店で、私に料理を出した後はさっさと別の店員とのおしゃべりに戻ったり。
お店での主役ってお客さんですよね。
お客さんに気持ちいい時間を過ごしてもらうというのが、お店の目的なはず。
そのための挨拶や接客、店内の雰囲気、お料理のおいしさだと思うのですが、お金を稼ぐことしか考えていないんだな、ということがありありと伝わってくる・・・。
心の中では「早く帰りたい」「お金欲しい」そう思うのは当たり前だと思います。
実際に私もライフワーク以外の仕事をする時はそう思います。
でも、その不満や我慢、ほんとは働きたくないのに、という心の内を、お客さんに見せてしまうのはどうかと。
1回の食事でたった数千円、一人で入ったお店は800円の食事代でしたが、安くて得したというよりも、不要なエネルギーをもらってしまい、「しまった!」と思ったのでした。
これは値段が低いから、波動の低い店員に会う確率も高いんじゃない?と思うかもしれません。しかし別のお店では値段は安くても、店主が心からその仕事を大事にしていることが伝わってきたこともあり、値段ではないのです。
そりゃあ、人間ですから色々と心の中で感じることは、コントロールできません。
しかし、仕事中はそれを態度に表さないことが当たり前。
心の中では色々感情が渦巻いていても、社会人としてのマナーはちゃんと守ってほしいですね。
敏感な人には、それでも「あ、この人早く帰りたいんだな」と伝わってしまいますが、それでも、ちゃんとした態度・マナーでいてくれたら、そのことに対して感謝したくなります。
「この人も大変なんだな」
「お疲れ様」
と思えるのですね。
不機嫌でいることって自分が思っている以上に他人のエネルギーを奪っています。
いくら仕事ができても不機嫌をまき散らしている人と、仕事はあまりできるとは言えなくても、常に機嫌の良い人の場合、一緒にいて落ち着くのはどっちでしょうか。
私は結婚してから、英語講師、事務、介護の仕事をしてきましたが、「早く帰りたい」と思っていたとしても、不機嫌な態度を取ったことは一度もありません。
人と関わっている際に、時々別のことを考えてしまったり、今日の夕飯は何にしようなど、つい考えてしまうこともあります。
でも、だからといって仕事で人と接する際に、相手の言動を無視することも、攻撃的になることも、相手のペースを無視して自分のペースに合わせようと急かすこともないです。
自分が不機嫌だから、今日はもう誰の話も聴きたくない、などといって相手の話に耳を傾けない、ということもありません。
私が自分で自分を肯定できることの一つは、仕事中は心が安定していることが普通であり、機嫌の良い態度を取れることなのです。
(気分の落ち込みなど数年前には感じることがありましたが、それでも不機嫌な態度になることはなかったです。気分の落ち込みと不機嫌は違いますし。)
不機嫌の理由が自分の都合である場合、関係のない相手にそれをまき散らすことはやりたくないですし、されてイヤなのが当たり前です。
(お客さん側に明らかな悪意がある場合、店員が毅然とした態度を取ることは必要ですが、今回の話はそれとは別)
お客さんとしてサービスを受ける場合は、そのサービスの質も大事ですが、結局人柄で選ぶことも多いのではないでしょうか?
「私のことを一人の人間として大事にしてくれる」
お客さんがそう感じる、ということはそのサービスを提供する側の姿勢が普段から、自分の利益優先ではなく、喜びの心で目の前の人に快適な時間を過ごしてほしい、楽しんでほしい、ここで癒されて帰ってほしい、などの思いがちゃんと伝わっているということです。
またその人やそのお店のサービスを受けたいと思いますよね。
そして、自分の出しているエネルギーや雰囲気にも気を配りたいものです。
私の態度は相手に何を与えている?
安心感?
元気?
やる気?
平和な気持ち?
今日もお読みくださりありがとうございました。