「宗教」は自分の心の中にあるもの

I am not religious but spiritual.

スピリチュアルケアに携わっていると「宗教的ケア」との違いについても学ぶことになります。

このブログで今まで宗教的ケアについてほとんど述べてこなかったのですが、それは私は宗教的な事柄について知識が乏しいからなのですね。

宗教的ケアとは、仏教であればお坊さんが、キリスト教であれば牧師さんや神父さんが、という風に、信仰する宗教の教えを元に、「死んだらどうなるの?」「こんな悩みを抱えている時どうすればいいの?」などの問いを、宗教の教えを寄り所にするというケアです。

読経やお祈りも宗教的ケアになります。

私自身はどこかの宗教団体に属しているわけでもありません。読んでいただいている人はわかると思いますが、「信仰」はしています。

「I am not religious but spiritual.」というやつです。

宗教的体験は持っていますが、知識を得たのではなく、自分の中の智慧につながったので本質がわかるようになりました。

宗教的体験というのは、個人を超えた次元に意識がつながる「神秘体験」とも呼ばれています。

仏教もキリスト教も神道も、底辺に流れるものはどれも共通していますよね。

真理というのはどの宗教も同じことを言っている。

ただ、表現の仕方、言葉の違い、儀式などの違いはあります。それらは人間が社会の中で作ってきたものです。「宗教」というのは人間が作ったのではなく、教義や儀式、作法が存在する前からある「真理」です。

仏教もキリスト教もどちらも好きです。ただ、家がずっと仏教だったので(といっても仏壇と神棚の両方あったぞ?)仏教徒ということになってはいますがこだわってはいません。

教義とか、宗派とか、作法などについてはほとんど何も知りません。

スピリチュアルケアを学ぶようになり、知り合った仲間の多くが僧侶や牧師であったりするので、話をする中で仏教には宗派があるだとか、キリスト教はキリスト教でもカトリックとプロテスタントがあるだとか、30歳をこえてから知りました。

実家の父方母方のお寺が何宗なのかということも全く関心を抱くことなく育ってきたので、4,5年前にネットで調べて初めて両方とも「曹洞宗」だということを知りました。

自分の心の奥に「超越的次元」とつながる場所がある

人間一人残らず誰でも神様や仏様、サムシンググレート、宇宙意識、大いなるものなどと呼ばれる次元に繋がっています。

普段は感じることは少ないかもしれませんが、それは離れたことはありません。

心を深く探ると、誰に教えられたわけでもないのに、ものごとの本質が「わかる」ということが起きます。

頭で理解するというのとは異なる「わかる」です。

腑に落ちるといった感じです。

ですから、「宗教」と聞いてなんかコントロールされる感じを感じる方もおられるかもしれませんが、それは心という本来の意味での宗教ではなく、「儀式」「形式」「決まり」に従うことを強制される感じがするからなのですね。

人間がその人自身の人生を生き生きと生きていくためのものが「宗教」であり、それはみんなが元々心の中に持っているもの。

そして人との関わりにおいて、どうすれば相手がありのままでいられるか、少しでもらくになるか、生き生きと生きていけるか、間違ったことをしていたら、どうすれば心からの反省をしてもらえるか、真剣に対応することが宗教的な行為ともいえましょう。

そういった場合に、相手が何らかの宗教を信仰していれば、その宗教の教えが多いに役に立つことがあるのですね。

仏教ではこう言っている、キリスト教ではこんなエピソードがある、これは今の自分にも当てはまることかもしれない、と。

そして私のように特定の団体に属していなくても、そういった宗教の教えはとても学びになりますし、教えを知らずとも、心を探っていくと色々なことがわかるようになってきます。

心の段階でぴったり合うものと出会ったり、例えばある本に書かれてあった内容でも、以前は理解できなかった、素通りしていた部分が「ああ、これはこういうことか」と深い部分での理解が進むのです。

超越的次元とつながっていて、それをありありと感じることができれば、現実がどのような状況であれ、幸せを感じることができるのですね。

現実で起こる出来事がどんなに悲惨で、残酷であったとしても。

三次元の世界、私たちが見えている部分は、真実の世界からしたらほんの僅か。真実のほんの一部であり、何が起きても、どんな状況であっても、真実の「わたし」が見ている夢。

しかし、とてもそんなことを言われても信じられないという方がほとんどだと思います。

怒り

悲しみ

苦しみ

罪悪感

自己否定

無力感

こういった感情に陥ると、とてもじゃないけど神も仏もいるわけがないと思う。

なにもかも全て破滅してしまったらいいのにと思う。

 

時はこのような身を切るような感情の中に深く入っていって、どこまでも苦しむことが必要な時期があるかもしれない。

何も誰も信じられないような状況、それでもそんな苦しみの極であっても、必ず助けというものはある。

その時は気が付かないかもしれませんが、その苦しみを味わい尽くすことで、見えてくるものがあります。

 

読んでくださり、ありがとうございました。

 

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