ちょうど2年前の11月の日記から
自分の心の棚卸中。
両親とも視野が狭い。
これは祖父母の代からか?と思い、いろいろと記憶を探ってみた。4歳の時に沖縄に家族旅行に行ったことを思い出した。
飛行機に乗ったことがじいちゃん、ばあちゃんにばれたらびっくりするから内緒にしなければならなかった。
親もその親から危ないことは禁止されていたんだろうなあ、とちょっと納得。
その禁止令が世代に連鎖されてるのね。
心の掘り起こしは続く。
電車の中で考えよう。
こちらも同じ日の日記。
2015年夏、2017年夏と今まで2回、一週間のスピリチュアルケアの病院研修を受けて、次の3月もまたエントリーする予定。
事前審査があるので通るかどうかはわからないですが、またまた8000字の生育歴を書かねば。
いろいろと心を探ってみると、やっぱり幼少期に身に着けた行動パターンが今になっても影響しているということを感じている。
私の場合は元々感性が鋭かったが、それだと生きづらいので無意識に封印することが当たり前に。
本当の自分を出さず、勉強を頑張ることで「別人格」になってどうにかそれでやってきた。
いやなことを「いや」と断りづらい
→結局嫌われたり、ぶつかるのを避けているのか。やりたくないことでも「やりたくない」と思うこと自体がいけないような気がしてしまう。そして長年がまんして続ける。そういうことが学生時代から複数ある。
→自分の心の声を押さえつけ、アタマの考えや他人の考えに従いがち。その結果不幸を感じる。結局自分よりも他人の方が正しいと思ってしまう癖。自分に自信がないのか。自分を主張して人とぶつかること、自分を押し通した時に通るであろう、人とのぶつかりを避けているのか。
自分らしく生きるには「嫌われる勇気」「覚悟」が必要なのかもしれない。
2年前と今、同じようなことを繰り返しているのですが、
振り返ってみて、変わったのことは
自分を信じる感覚が強まったこと。これは「内面からくる直観」を信じるということです。
ある行動をしようと考えたとき、喜びや充足、楽しさや平安などを感じることであれば、例え周囲の反対にあったとしても自分を信じ抜きそれをやっていいんだと思えるようになりました。
逆に気分が重くなるようなことは本来やらなくてもいいことなのだということもわかってきました。気分が重くなるというのは苦手な分野なのに「これができないとダメ」と自分にダメ出しをしているということです。
やらなければならないという「義務感」や「これをやらないと不安だから」「これをやらないと誰かに怒られるから」などというエゴの声に従っても幸せにはつながらないということも腑に落ちてきました。
行動の動機を「他人や世間の常識に合わせること」にしてしまうと自分の幸せからは遠ざかってしまいます。
表面的には、世間常識的には「幸せ」に見える人生を送れるかもしれませんが、自分自身が本当にそれで幸せを感じているのかということが最も大事です。世間のいう理想的な家庭、学歴、職業、住まいなどを手に入れたとしても、あなた自身が満たされないのであれば何の意味もありません。
2年前と比べて自分の力になりつつあるなと感じることがもう一つ。
それはもう少しで自分の本質で生きられるという手前で「潜在意識の揺り戻し現象」にはまってしまったことです。知識としては知っておりましたが、大きく内面が揺れ動き、気力が枯渇したり不安定になったりということで、結局それに負けてしまい以前の生き方(不安を埋めるために我慢してお金を稼ぐ)に戻ってしまいました。
しかしこれもあと半年!辞めることはもう決まっているので。
このように、自分の本質で生きていこうとする際に出くわす落とし穴、揺り戻し現象を身を持って体験しているので、今後これは私の強みになり、同じような人を支える力が培われるはず、と信じる感覚が強まりました。
以上、2年前との比較でした。
読んでくださりありがとうございました。