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仕事にやりがいを感じない・仕事が物足りない悩みに関するメンタルブロック

メンタルブロック解除のカウンセリングセッションで時々見られる「仕事に関する悩み」。

「やりがいを求める」という行為が「やりがいを感じない」という現象を起こしているのかもしれません。

仕事にやりがいを感じない、仕事が物足りないという悩み

これは私自身、長い間感じていたことでもあります。

これは私の天職・ライフワークだと感じるスピリチュアルケア・グリーフケアの活動に出会えたのはとても幸せなことでした。

 

最初はボランティアから始めましたが、元々グリーフケアを学ぶ目的は「仕事としてやっていきたい」というもの。

ボランティア活動であっても、たましいレベルでは「これがやりたかったことだ」と思えるのですが

 

ボランティアだけでは収入にならないだけではなく、活動をする日は仕事を入れることはできないので、収入にも影響が出ます

 

お給料をもらう仕事を別に持ちながら、つまり「適職」を続けつつ、ライフワークを続けることになります。

※適職は特別好きというわけでなくても、得意なことや無理なくできることでお金をもらう仕事、天職は収入関係なくたましいが満たされる「自分だからこそ」の仕事です。

 

そうするとそのお給料をもらう仕事「適職」に対してだんだんやる気が無くなってくるのです。

というか、それまでは無理なくできて我慢することも無かった「適職」が、「適職」でない状態に変化してしまうのですね、自分の内面が変わっているので。

 

 

ライフワークであるグリーフケアやスピリチュアルケアは、相手の本質を支える、その人らしさを生かすサポートです。

それに対してお給料をもらう仕事というのは、それとは全く逆のことをしないといけない時もあり、やりたいこととその価値観が合わなくなりました。

 

2012年に上智大学グリーフケア研究所で学び始めますが、その前年くらいにすでに当時やっていた英語講師の仕事に対して「これは私のやりたいことじゃないな。」と思っていました。

 

仕事にやりがいを感じないというのは、英語を学びたいわけではない学生、出席しないといけないからという学生に、教える意味があるのかということ。

 

この子たちは英語を勉強するより本当にやりたいことをやった方がいいだろうに、と英語講師としてではなくスピリチュアルケアの立場で考えてしまうのです。

 

ですから

「英語をやりたくない」

「早く授業が終わってほしい」

という思いには共感していました。しかし授業はしないといけないので自己矛盾を感じるのですね。

 

それでも、「授業で押さえるべきところは押さえたのなら、ちょっとは自分の好きなようにできるよね」

とたまにやっている内容と関連するスピリチュアルケアのワークを取り入れたりして授業を楽しんだりもしていました。

 

はっきりいって英語を教えるよりこっちのほうが良かったし学生も楽しそうでした。

(まあこれはほんとはやったらあかんことなのでここだけの話です。)

 

それから仕事が物足りないというのは、たましい的に物足りないという意味です。

英語講師として、色々な準備やら指導法など追及すると終わりがなく、技術は常に磨き続けないといけないので、やること多いのに物足りないの?と思われそうですが、頭と口と手は忙しくても、たましい的には物足りないのです。

 

これが「英語を本気で学びたい」という学生相手であれば私もスパルタ方式で、過去自分に課していたような方法を使って指導するでしょうし、それなら物足りないことはなく、充実を感じて日々満足していたでしょう。

 

大学で英語を教えると決まった際は、そんな日々を想像していましたから。

 

私はもっと「自分だからこそ」「本気になれる」仕事をしたい

たましい的に物足りないという思いの根っこは

「私はもっと自分の力を発揮して、これよりももっと良いものを提供できるのに」という悔しさがあるのです。

 

本当はもっとできるよね。

出し惜しみしてるよね。

と。

 

会社や組織からは「こういうことをお客さんに提供してくださいね」と言われるわけですが、会社の価値観に沿ったものより、もっと良いものを私は提供できる

 

そしてその場所はここではない。

本当の意味で私の提供するものを必要としている人がいるはずだ。

 

その人の本質を引き出すような仕事が私の最もやりたいことなのに、それとずれた仕事をするのは相手の本質を引き出せないばかりか、私の本質も奥に押しやっていることを意味するのではないか?

アンタも私もウソの自分でおれ。ずっと〇んでろ。

ってことをやっているのではないか?

 

などと思い、英語講師をやめたのが2018年。

5歳から英語をやってきたのですが(費やした年月の割に実は実力はそれほどでもない)、そもそもなぜ英語を続けてきたかというと、その根底にはやはり「コミュニケーションをしたい」という思いがあったからのように思うのです。教えたいというよりも。

(※英語講師の仕事を否定しているのではありません。私も最初は情熱を持って教えていました。しかし自分の内面が変わると出会う生徒の層など外の状況もそれに応じて変わるのです。)

 

教えることはやめましたが、英語は今後カウンセリングにも生かすつもりです。

 

仕事にやりがいを感じない、仕事が物足りないという場合は、そういう環境を自分に与えてしまっているということでもあります。

やりがいを感じる仕事を自分で選ぶ段階から、気づいたらそうなっていた段階へ

 

本来の力を発揮させないような環境。

自分が自分でいられないような環境。

小さく縮こまっていることを求められる環境。

やりたいと思ってもいないことをやらないといけない環境。

 

世間的には一見「華やか」「成功」なイメージを持たれている仕事であっても、本人の心が小さくなってしまっていたら意味がない。

逆に世間の評価は低くても、本人がその仕事が好きでたまらず、生き生きとしていたら、それがその人の本質に合っているということ。

 

自分が自分でいられるよう、自分に許可を出せていないと良い仕事には巡りあえません。

家族のため、お金のため、親を喜ばせるため、と妥協して仕事を選んでしまいます。

しかし、まずは自分は何を求めているかはっきりさせる。

その上で、想定の範囲内、頭で考えつく範囲内かもしれませんが、「適職」には就くことができる。

 

 

仕事もやはりどれだけ自己受容できているかが影響しますね。

やりがいを求めなくなった時、すなわちもう満足で状況を変えようとしなくなった時、

求めていたものはすでにあったのだと気づくのです。

 

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

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