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メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 私の体験談③

女性らしい格好をすると罪悪感を感じるその理由

関連記事:毒親あるある?「ロングヘア禁止」。メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 体験談①

関連記事:「着飾るのは人格が低いからだ」メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 体験談②

上記の記事の続きです。

今回は20代から30代にかけての話になります。

 

自分の好きな女性らしい格好をすると

「いけないことをしているのでは」

という罪悪感を感じてしまう悩みを持っていました。

 

小学校高学年や中学の頃は、自分の小遣いで好きな服を買い、友達と出かける時に着ていましたが、

帰宅後、親に見つかる前に着替えておりました。

 

親がうるさかったので、とやかく言われるのがイヤでした。

ボーイッシュな格好やユニセックスな格好であれば何も言われませんでしたが、女の子らしい格好をすると色々と言ってくる親でした。

 

髪型を自由にできなかった話は

毒親あるある?「ロングヘア禁止」。メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 体験談①

に書きましたが、このような背景があり、自分の好きな格好をすることに罪悪感を感じるようになったのです。

 

今44歳、罪悪感はずいぶん改善されましたが、まだほんのちょっと残っております。

 

「私は女でありたいのに、遠慮して色気のないおばさんみたいな格好をし続けるの?

あっというまに年月が経っておばあさんになってしまう。

人目を気にせずジュエリーを身に着けたい。

メンタルブロックが外れてもおばあさんになってからだったら遅い。

顔も身体もセクシーではない。

おばあさんは「可愛い」ことはあっても色気はない・・・・。

期間限定、貴重なのだ、女でいられるのは。

私は女でいたいのだ。

女であることをもっと感じたいし楽しみたい。

20年30年なんてあっというま。

今好きな格好をせずにいつする?」

 

ずっと抱えてきた本音です。

 

メンタルブロック 女性らしい好きな格好ができない

■本当はエレガントに女性らしくありたい

■ヘアメイクも品よくまとめて、質の良いジュエリーを身に着けたい

■だけど人前でそんな装いをすることに心の抵抗を感じてしまう

 

私自身、このようなメンタルブロックを以前は抱えておりました。

今はずいぶんと軽くなりましたが、

好きなファッションを装うことに罪悪感を感じることはまだあります。

 

でも、毎回罪悪感を感じるわけではなく、特定の場面で心の抵抗を感じるのです。

特定の場面とは、誰と会うかによって違うということ。

 

以下の場合は好きな格好ができます。

■一人でいる時

■夫といる時

■友人といる時

■職場の飲み会、仕事を離れて付き合う場

■ライフワーク関連の友人・知人といる時

 

 

罪悪感を感じるのは

■苦手な仕事で関わる男性の前

■不平・不満が多い人の前

 

罪悪感や心の抵抗を感じる理由、両者で一体なにが違うのか?

外が原因というより、私の内面・メンタルブロックが作用しているに違いありません。

結論を言ってしまうと、

自然体でいられるかどうか。

女性らしくありたいと思ってもいい。

私が好きなファッションをしていい。

高価なものであっても、堂々と身に着けていい。

心を開いて接することのできる人たちの前では、罪悪感なく自由な格好ができます。

 

一方で罪悪感や心の抵抗を感じるのは

■苦手な仕事で関わる同僚や上司の前

■不平・不満が多い人の前

これらの人たちの前で、私はどんな自分でいるのか。

どんな自分になってしまうのか。

自分の内面を探求してみました。

 

■苦手な仕事で関わる同僚や上司の前

この場合「仕事が苦手」なので、自分のパフォーマンスには自信が無い、あるいは人並にできていても、他にもっと優秀な人がいる状況です。

約15年間の英語講師や1年間の事務職をしている時も度々感じていたのですが

「私の実力程度で格好だけ立派にしても怒られるだけじゃないか?」

と。

 

私はまあまあ仕事はできましたが、それは努力あってのことでした。

自力での頑張りです。

家ではちゃんと仕事の準備をしますし、

外の基準、社会の基準に自分を合わせるという努力です。

 

人並かそれ以上は出来るのですが(自分で言いますが)、英語講師をライフワークとして心底楽しんでやっている人には適いません。

当たり前です。

そして比べなくてもいいのに、無意識の癖で比べてしまう・・・。

ライフワークとしてやっている人と同じ「神基準」にならないとダメなのではないか、と。

 

ライフワークとしてできるくらいの実力でもないのに、

「仕事ができる雰囲気の綺麗で品のあるヘアメイクやファッションをすると怒られるのではないか?」

 

という気持ちがわいてくるのです。

実際に女性らしい好きな格好をして怒られることはないのですが、

中身が伴っていないのに、外見を整えることを自分に許可しづらかったのです。

(中身が伴っていない、というのも自分の思い込みです。仕事は出来ているので。神基準の人と比べるから、こんな考えになるのです。これもメンタルブロックなのですが。)

 

誰に教えるか、その現場にどんな同僚や上司がいるかで、違いました。

女子学生や女性の同僚、女性の上司の前では好きな格好をすることに抵抗はなかったのですが、

相手が男性の場合

「怒られるのではないか」

と。

なぜ怒られるような感じを抱くかというと

「身の丈に合っていないことをしている」

と心の中で思っているからなのです。

 

でもこれは変な話で、仕事の実力が無いにも関わらず、好きな格好をしている女性は世の中いっぱいいるわけです。

そんな人たちは罪悪感など感じることなく、おしゃれをして会社に行っています

仕事は嫌いなのにおしゃれは好きな女性

 

そして私はそんな女性たちを心の中で責めておりました

 

誤解の無いように言っておきますが、TPOをわきまえた品のある身だしなみで、綺麗な人の場合腹は立ちません。むしろ「素敵だな」と心惹かれます。

書いていて気づきましたが、身だしなみというのは「相手のため」を思って整えるもの、この場合は気づかいですから気持ちがいいものです。

私が腹が立つのは、一見身だしなみを整えている雰囲気なのに綺麗に見せたい、可愛く見せたいという「おしゃれ」意識が優位になっている人です。

 

例えばあるサービスで会った受付の人。

見た目はばっちり整えているのに、客に対する対応が冷たかったり。

明らかに自分のことしか考えていない態度だったり。

 

これが見た目が普通で、対応が悪かった場合どう感じるかというと、

腹は立つけど、後でモヤモヤすることはあまりないのです。

 

見た目を整えている人の場合、

「自分のことはそんなに手間もお金もかけるのに、客に対しては何も考えとらんのか」

と思ってしまい余計に腹が立ち、責めてしまうのですね。

 

これは私の内面で何が起きているのでしょう???

「自分のことはそんなに手間もお金もかけるのに、客に対しては何も考えとらんのか」

これです。

同じことなのですよね。

「客に興味がないのに自分のことを大事にするな」

と自分に対してやっていたのです。

 

客に興味がないというのはどういうことかというと

「仕事が苦手と感じている」

という時点で

「私が授業させていただくことで、この人たちの役に立っているのね。」

という貢献意識を感じられていない状態でした。

 

「こんな風にやったらダメにならない?大丈夫?」

「もっと〇〇をしないといけないだろうか?」

不足・欠乏に意識の焦点が当たっている状態

 

不足・欠乏は

「私がもっとちゃんとしないと」

「私が変わらないと」

という自分のエゴにとらわれている状態です。

自分にとらわれているということは、自分がどう思われるか、どう評価されるかの方が気になって、肝心のお客さんに喜んで頂けるかという意識が欠落しているのです。

 

仕事は嫌いなのにおしゃれは好きな女性

 

そう、これ私です。

私の隠れた願望を叶えている女性に対して、責める気持ちを抱いていたというわけです。

 

 

そしてそんな状態を自分は「ダメだ」と思っているのです。

「お客さんよりも自分のことが大事」な自分はダメだ

 

だから好きな格好をしてはいけない、

女性らしくあってはいけない、

と。

 

だから自分のしたい格好ではなく、当たり障りのない格好をして行っていたのです。

でも、私のしたいことを堂々としている女性を見て「なんであいつは好き放題してるんや?まじめに仕事しとらんのに」と怒りを感じたというわけです。

 

「自分に興味はあるけど、他人に興味がないのは悪いことだ」

という価値観・ビリーフを小さい頃から抱えていたように思います。

大人になった後よりも幼少期から小学校時代の方が生きづらさを抱えていました。

 

人前で自由に振る舞えない、人に気に入られるように振る舞う、言うことに従う・・・。

疲弊するばかり。

 

なぜ心を開いて素直にコミュニケーションができなかったのでしょうか?

人にどう思われるかと気にしていたから。

それは、自分のエゴなのですよね。

自分にしか関心がないわけです。本当は。

 

真の意味で人に関心があれば、私の言動を人はどう受け取るかという視点で考えられます

人にどう思われるかと

人がどう受け取るかは似ているようで真逆ですよね。

 

人がどう受け取るかをちゃんと考えられる状態というのは、まずは自分が満たされていないとできません

人へ関心が向くのは、自分に関心を向け、自分を大事にできた後だとわかりました。

 

なのに、自分が満たされていないにも関わらず、「仏のように振る舞うこと」を自分に強要していたのです。

 

自分にしか関心がない。

ほとんどの人がそうでしょう。

それでいいのだと思います。

 

このブログを読んでくださっているあなたももしかしたらそうではないですか?

ブログを読んで知識を増やしたい、というよりも

 

「この先自分がどう変わっていくか。自分を見つめることで生きづらさが軽くなって、もっと自由に生きていけるのだろうか?」

自分の人生が気になっているから

 

「他の人はどうなんだろう?似たような人の体験談を読みたいな」

 

と思い読んでいるのではないでしょうか?

 

自分をまず大事にできるようになって、それから他者に興味・関心がわき、本当の意味での他者貢献につながります。

自利利他です。

しかし、自分が満たされてもない状態で他者貢献しようとしても、

「あの時の私、あの人にどう思われたかな」

と結局自分のことが気になってしまうのです。

 

「自分にしか関心がない私」をいけないことだと思っていた

「自分にしか関心がない私」を隠そうとしていた

 

これらを隠す行為として

「自分にとっては不本意な地味な格好をしてしまう」のだなと気づきました。

 

本音を隠し続けるからメンタルブロックが外れない

今回の話は20代から30代の頃の話です。現在44歳、まだちょっとブロックが残っているのですが、昔に比べるとずいぶんと解放されました。

髪型も服装も自分の好きなように自由にできています。

昔は、エゴを抱えていること、エゴに従うことがなんだか人格的にダメだと思っておりましたが、それもエゴです。

エゴはあかん、と抑圧しているエゴです。

 

エゴはあかん、と思っていましたが、本音を抑圧してしまっていました

 

「それをしたら嬉しい」

「そうなれたら満たされて幸せを感じる」

 

これらはエゴではなく、本音です。

 

女性らしくあれたら嬉しい、と思う心は本音ですよね

 

経済的な範囲内ですが、高級な化粧品が欲しかったら買いますし、ジュエリーやブランド物を持つことにも抵抗が無くなりました。

好きな髪型やファッションをする機会を増やしていくと、徐々に抵抗感も薄くなってきます。

繰り返すことで潜在意識に「そんな自分が当たり前」という意識がたまっていきますね。

繰り返しても抵抗感が残る場合はメンタルブロックにアプローチして、どんな思考がそうさせているのかわかるとブロックも解除されていきます。

 

見た目を整えることやおしゃれをすることがとても楽しいです。

昔は好きな格好をすることに罪悪感を感じていましたが、今は自由で本当に楽しくなりました。

 

どんな時に罪悪感を感じるか。

■苦手な仕事で関わる同僚や上司の前

■不平・不満が多い人の前

今回は「苦手な仕事で関わる同僚や上司の前」で好きな格好ができないという内容でした。

次は「不平・不満が多い人の前」でなぜ罪悪感を感じて好きな格好ができないのか。

関連記事:「高い物を身に着けられない」メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 私の体験談④

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

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