前回の続きです。20代から30代の頃の話になります。
関連記事:メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 私の体験談③
「高級ジュエリーやブランドバッグ、持っているのに身に着けられない」メンタルブロック
■本当はエレガントに女性らしくありたい
■ヘアメイクも品よくまとめて、質の良いジュエリーを身に着けたい ■だけど人前でそんな装いをすることに心の抵抗を感じてしまう |
女性らしい格好をしたくても、心の抵抗や罪悪感を感じることがありました。
どんなシチュエーションで罪悪感を感じるかというと
■苦手な仕事で関わる男性の前
■不平・不満が多い人の前 |
です。
前回は「苦手な仕事で関わる男性の前」で、なぜ好きな格好ができなかったのかを書きました。
今回は「不平・不満が多い人の前」について内面を探求してみます。
どちらかというと男性よりも女性のシチュエーションの方が多かったかなと思います。
なぜ「不平・不満が多い人」の前で高価な物を身に着けられなかったり、女性らしい好きな格好がしづらくなるのか?
私にとって好きな格好をするということは、自己表現の一つであり、喜びです。
ありのままの自分を現わす手段です。
前回の記事にも書きましたが
結論を言ってしまうと、
自然体でいられるかどうか。
女性らしくありたいと思ってもいい。
私が好きなファッションをしていい。
高価なものであっても、堂々と身に着けていい。
心を開いて接することのできる人たちの前では、罪悪感なく自由な格好ができます。
そう、自然体でいられる場合は好きな格好をしてもいいと自分に許可できます。
一方「不平・不満の多い人」の前では、心が閉じてしまいます。
不平・不満の多い人、というのは本人が自覚していないかもしれませんし、こちら側の勝手な解釈のこともあるかもしれません。
私が勝手に「この人はきっと不幸なんだろうな」と思っている人といえます。
実際に不幸かどうか別として。
しかし、
「この人はいつも文句ばかり言ってるな」
「また周囲に当たり散らしている」
「私が悪いわけではないのに不機嫌な態度をされるから顔を合わしたくない」
と感じることが少なからずあるのです。
好きな格好をしていることを責められるのではないか、
自由に振る舞っている私の態度にますます怒りを感じるのではないか
嫉妬されるのではないか
と思ってしまう・・・・
私が勝手に感じていることなので、相手がこんな反応をするとは限りません。
それにたとえ相手が責めたり、怒ったり、嫉妬しても、それは相手の問題であって私の問題ではありません。
なのにそう反応されたくない、それを避けたいと思ってしまうのですね。
責められたり、怒られたり、嫉妬されるのは不快なんです。
だから好きなジュエリーやファッションをしないで、おばさんみたいな、あるいはおじさんみたいな無難で地味で色気のない格好をしてしまう・・・。
なぜ責められたり、怒られたり、嫉妬されるのが不快なのか?
そのような状況になっても「それは相手の問題だ」と放っておけばいいのではないか。
気にしなければいいのではないか。
それができたら堂々と好きな格好をしていけますし、嫉妬されてもスルーできます。
家に帰ってきてその人のイヤな態度を思い出してモヤモヤすることもありません。
なぜスルーできないのか?
■「私に原因があるから相手が不機嫌になる」と思ってしまう
■「相手が不幸なのに幸せそうな姿を見せてはいけない」と思うから |
■「私に原因があるから相手が不機嫌になる」と思ってしまう
相手が責めたり、怒ったり、嫉妬したのは「私に原因があったから」と思ってしまうことが挙げられます。
「私が好きな格好をしたから」
「自分らしくしていたから」
ダメだったんだと。
相手が怒ると、その原因は自分にあるのではないか?と自分を責める傾向がありました。
相手の問題なのに、それを自分が背負ってしまうのですね。
できるだけ相手を刺激しないようにしよう・・・
そう思い、ますます「女性らしい、好きな格好」ができなくなっていきます。
■相手が不幸なのに幸せそうな姿を見せてはいけないと思うから
明らかに相手が不幸、例えば今本当に辛い状況にいるなどであれば、その人の前で幸せな自分をアピールするのはどうかと思うのです。
例えば家族を亡くしたとか、重い病気が見つかったとか。
そのような場合はやはり気づかいは必要で、やたら華美に着飾るのはNGでしょう。
でも、特に不幸があったわけでもないのに、「日頃から不機嫌な人」はいます。
それはその人の価値観の問題です。
嫌われたり批判されたり、嫉妬されるのを恐れて、ウソの自分でその人と接するのも失礼な話です。
「この人はきっとお金が無いから買えないだろうな。きっと気分を害するに違いない」と普段と違う自分を装い、わざと地味にしていくのは失礼です。
下に見ているからこのような発想になるのではないでしょうか。
自分の妄想ということは多いにありえますし、相手は全く気にしないかもしれないのです。
起きてもいないことを恐れて、「女性らしくありたい」「好きなものを身に着けたい」というありのままの自分を押し込めてしまうのは、自分にとっても「我慢」でしかありません。
なぜ「相手が不幸なのに幸せそうな姿を見せてはいけない」という発想になるのかというと、嫉妬したことがあるからです。
「あの人は手に入って私は手に入らない」
これが嫉妬の感情です。
もっと深く探ると
「私も手に入れることができて当然の価値がある。なのにあの人だけ良い思いをしてずるい」
自分とかけ離れた存在であれば比べることもなく、気にもしませんよね。
でも、自分と身近で大差のない女性、しかも自分よりも色々と劣っていたり世間的に「悪」とさ判断されることをしていたり・・・。
そんな人でも手に入れて幸せを感じている。
どうして悪いこともしていないのに私はそれが手に入らないの?
納得いかないことや理不尽さを感じ、怒りや嫉妬がうずまきます。
行動に移さないまでも、嫉妬のエネルギーはものすごい破壊力と攻撃力を秘めています。
こんな嫉妬の経験があるから、嫉妬の念のおぞましさを知っているわけです。
だから「相手が不幸なのに幸せそうな姿を見せてはいけない」
と思い、嫉妬されないように高い物は身に着けない・・・・。
しかし本当は自分も他人も同じ、自他一体です。
他人を通して自分の内面が現れているだけ。
また投げかけたものが返ってくるのがこの世の法則です。
仮に嫉妬されたとしたら、それは自分が過去に投げたものが返ってきただけのこと。
何か自分にとって問題となることが起きたら、それは「もう終わった」「業が解消された」ということです。
問題が起きた、どうしようととらわれ続けていたらずっと続きます。
このシリーズはまだ続きます。
読んでくださりありがとうございました。