アダルトチルドレン。毒親あるある「ショートにしたがる」
本当はもっと女性らしくありたいのに、それができない。
わざと女性らしさを抑えるような行動を取ってしまう。
私自身、自分の内面と向き合うことで、メンタルブロックがずいぶんと解放されていきましたが、「女性性の開花」に関してまだ叶っていない願いもあります。
「おばあさんになってからではなく、女性の色気を発揮できる年齢のうちにに叶えたい願い、味わいたい感情」があります。
そう、
ばあさんになってからでは遅いんや!!!!!
親のことを「毒親」とは感じておらず、この「毒親」という言葉を使うのは抵抗があるのですが・・・。
愛情は感じていたので。
まあでも振り返ってみると「毒親」の要素はあります。
「毒親」のキーワードで検索すると私と似たような状況で育った人のブログがいくつも出てきて共感を覚えます。
ブロックを解除することで、それが「叶っていい」と自分の中で許せるようになります。すると願望が実現していくんですね。
少しずつ、少しずつ今まで叶えてきました。
親に直接アプローチするのではなく、自分で自分の心の痛みを受け止め、癒すことで徐々に外の現実も変わっていきました。
以下は私の話ですが、アダルトチルドレンや毒親育ちの人の中には同じような体験を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
共感できる部分もあるかと思います。
「女の子らしくしてはいけない」幼少期から抱えていたメンタルブロック
女性性やセクシャリティに関するメンタルブロック、リミッティングビリーフは多くの女性が抱えているものでしょう。
私自身のことですが、幼少期にすでに「メンタルブロック」を抱えておりました。
子どもの頃、レースやフリルのついた女の子らしい格好や、魔法使いの女の子が主役のアニメが大好きでした。
髪の毛を伸ばしたかったのですが親に反対され5歳の年長時にばっさりと切られてしまったことがあります。
関連記事:アダルトチルドレン。子どもの頃、髪型を自由にできなかったあなた、もう自由にしていいんです。
その時は「プールがあるから切るけどまた伸ばして卒園式にはポニーテールにする」という約束でした。
しかしその後二度と髪の毛を伸ばすことが叶わずに年月が経ってしまいます。
なんと5歳の時にショートにしてから高校を卒業するまで叶いませんでした。
大学時代は一人暮らしだったので自由にできる環境にいました。
でも結局肩あたりまでのセミロングの長さになると切ってしまうのですよね・・・。
親と離れているので伸ばすのは可能なはずなのに、それまで短いのが当たり前だったので伸ばしたくてもメンタルブロックが働いてしまうのです。
結局短くしてしまうという・・・。
結婚してから肩あたりまで伸ばしたことはあるものの、成人した後でも親から髪型のことでたびたび注意され・・・。
結局ロングヘアが叶ったのは36歳の時、今からたった8年前。
白髪染めが必要となった頃です(泣)。
なぜ髪の毛を伸ばすことを禁止されていたかという理由は
「似合わないから」です。
親は私のことを可愛いと思っており、ショートの方がそれが一層引き立つと思っていたようです。
(※ちなみに父は女性がボーイッシュな格好しているのが好きなようで、母と付き合っている時に母にそのような格好をさせていたとのこと。
そしたらある時警察に職務質問され、「弟さんですか?」と訊かれたらしいです。)
親に従って髪は短くしておりましたが、私もしょっちゅう男の子に間違われていました(泣)。
ですので親がいくら可愛いと言ってくれても自分のことをぶさいくだと思ってしまい(そりゃそうだ。可愛い女の子であれば男の子に間違われるはずがない、そんなことはありえないと思っていたから)
髪の毛を伸ばすのは顔が可愛い子だけに許されることなのだ
という観念が根付いてしまいました。
自分より可愛い子が髪の毛を伸ばしていてもなんとも思わず、むしろ「可愛いなあ」「いいなあ」と憧れの気持ちを抱いておりました。
「あの子もあの子も私よりブスで似合わんのになんで髪伸ばしてええんや」(すごい失礼ですが)
「なんで私だけあかんのや」
と思っておりました。
なんで
なんで
なんで!
なんで!!!
なんで!!!!!
くやしい
くやしい
くやしい!
くやしい!!!
くやしい!!!!!
子どもだったので言語化ができませんでしたが、当時私にとって最も大事だったのが女の子として可愛くいられるかどうか(というか今もやろ、それ)。
それを体現する手段が髪型であり、顔はぶさいくであってもヘアスタイルのアレンジの仕方によって見え方は変わると思っていたのです。
しかし短いままだとアレンジのしようもなく・・・・ぶさいくなまま。
そして特別なことをしていないのに髪を伸ばせる子に対して恨みの感情も抱いておりました。
「特別でもないし何もしてないのになんで髪の毛のばせるんや?」
私だってフツーにしとるだけで、何も悪いことしていないのに。なんでこんな目にあわなあかんの?
※「悪いこと」はしていました(人に対して攻撃するなど)。当時は自分の中の「うっぷん」があまりに強く、罪の意識には気づかずにいました。
小学校高学年以降、勝負できる分野は「勉強」となりました。
特に英語に力を入れ、特訓し、留学経験なしでしゃべれるようになりました。
大学のクラスは100人しか入れないいわゆる選抜コースに入れました。
しかも100人中上位25人。一番上のAクラス。ちなみに今でもクラスメイトとは縁が続いています。
”cream of the crop” と当時お世話になった外国人教授が私たちのクラスのことをおっしゃっておりました。
※cream of the crop 最高(最良)のもの、最高によりすぐった人[物]、最も生成されたもの、一流の人、最優秀者 アルク「英辞郎」より
負の力というか、くやしさの力は凄まじいものがあったのでしょうね。
高校の時は平日5時間6時間、自宅で一人、英語のトレーニングに費やし、週末は12時間やっておりました。
純粋なモチベーションではなく、承認欲求を満たしたかったのです。
承認欲求の根底にあるのは幼少期から抱いている「女の子として可愛くなりたい」という欲求ですが、
背後に追いやられて影を潜めたかのように見えました。
その根本の欲求が何年も叶わないので、それが別の形「英語ができるようになりたい」に転嫁されたというわけです。
英語を頑張ることによって一時的な「エゴの欲求」は満たされました。
しかしその根底にあった真の欲求、本心本音の欲求は叶っていないので、本当の意味では満たされないままです。
自己受容が深まるには「真の欲求」「本心本音の欲求」を満たす必要があります。
頭の考えに支配されたり、他人の機嫌を取り続けたり、自分の感情を抑圧していると「本心本音」がわからなくなります。
ですので、「偽ものの欲求」を満たしたとしてもそれは一時的な満足にすぎません。
満たされないのでいつまで経っても「本心本音っぽい偽物」を追い求め続けてしまいます。
でも、「偽ものの欲求」を満たすことで得られるものや学ぶこともあるのでしょうね。
「これではなかった」と気づくには、たとえ偽ものであっても欲求を満たすことで、実感としての学びを得られます。
本当の意味で、
自分は何を求めているのか、
どんな感情を感じたいのか、
が見つかると、それを叶えるためにどうすればいいのかおのずとわかってきます。
②に続きます。
「着飾るのは人格が低いからだ」メンタルブロック 女性らしくあってはいけない 体験談②
今日もお読みくださりありがとうございました。