死別や離婚、虐待、うつ病などクライアントと同じ体験をしていないとカウンセラーになれない?
同じ体験をしているかどうかではなく、ケア提供者自身がどれだけ心を深く掘り下げたかが大事
「私はこんな大変な思いをしたことがないから・・・」
と自信がなくなったり、腰が引けたりする人を見たことがあります。
以下、私の考えを述べました。
心の表層から順に
1.思考、考え、善悪の判断。~するべき、~するべきではない。「こういう状況ではこのように行動する」など。
2.感情、気持ち、欲求など。楽しい、悲しい、寂しい、わくわくする、怒り、やりたい、やりたくない、など。
3.ビリーフ、価値観、思い込み、偏見、信念。「それが当然」と無意識レベルで思い込んでいること。
1が頭で理解するレベル、2は感情、3は1と2の根底に存在する価値観です。
1と2に焦点を当てたケアが通常の一般的な心理カウンセリングかと私の体験上そう思います。
3に焦点を当てているかもしれませんが、ちびちびとやっているので結果的には1・2止まりでその先に進むにはあまりに時間がかかるかなという印象です。
心療内科や臨床心理士による心理カウンセリングで、データもちゃんと揃っていて、頭でいろいろと判断をする人には合っているかと思います。
理論的で社会生活に適応するための「問題解決」を目的としたケアですが、すぐに根底からの変容があるのかというと、そうでもありません。
3の価値観という部分に焦点を当てるまでに繰り返し通う必要がありますし、そこまで深く対応できる臨床心理士やカウンセラーと出会うかどうかにもかかっています。
臨床心理士や心理カウンセラーの技量にもよります。
2の感情に寄り添ってくれるカウンセラーさんもいますし、3の部分まで対応できるカウンセラーもいますが、これは臨床心理士という資格を持っているからではなく、個人の力量といっていいでしょう。
その臨床心理士さんなり、カウンセラーさんが、一体自分はどのように育ってきて、どのようなことを大切にしていて、どのようなことが心の傷になっているかということを一生懸命掘り下げて、ご自身と向き合った結果です。
これは資格を取る段階の訓練でご自身を掘り下げるに至ったかもしれませんし、あるいはその人自身の喪失体験や辛い体験からの学びだったかもしれません。
また、他者にインパクトを与えるような大きな喪失体験をお持ちでなくても、お仕事をする上でのスキルアップの一環として自分の心を掘り下げ、自己受容が進んだ方であれば、相談者と同じような喪失体験をお持ちでなくても対応できるのではないかと個人的には思います。
また、相談者側が現時点でどこまでの変容を望んでいるかということをちゃんとキャッチして、その思いに応えるということも大切です。
「とりあえず、今しんどくて行動できないから、行動できるようにしたい」と対症療法的な問題解決的な方法を望んでいるのであればそれに応えるのが良いのでしょう。
そのような場合は3の部分の変容はとりあえず保留にしておいて、少しずつ行動を変えるなど1の部分でどうにかするということになります。
それ以上深いところの変容は本人が望んだタイミングで対応することが大切かと思います。
2と3に焦点を当てるのが私の関わっているスピリチュアルケアです。
2の感情の部分で大きく揺さぶられることも癒しにつながります。
「こんなわたしの話を聴いてくれる、受け止めてくれる人がいたんだ」
「このままの私で良かったんだ」
「今まで辛いこと、苦しいことがあったけど、それを抱えたままでも生きていけそう」
このように2の部分で大きく揺さぶられるだけでも、ずいぶんと生きやすくなります。
人が癒されたり気づきを得たり、価値観(ビリーフ)が変わったりという「変容体験」をする時というのは、
上の1~3でいうと3の部分が大きく揺さぶられ、気づきが「腑に落ちる」という状態になって大きく変わります。
根底からの変容です。
スピリチュアルケアの場合は最初の訓練から「自分を掘り下げる」ということをします。
「2と3」に焦点を当てる訓練は必須なのです。
訓練生の中には大きな喪失体験を持つ者もいますが、若い人の場合は身内の死すら未体験という人にも会ったことがあります。
相談者の話をありのまま聴けるようになるには「自分をいかに深く掘り下げたか」ということが大事で、掘り下げた深さ以上、深いところの話は聴けません。
説明上わかりやすくするため1、2、3、と簡単に分類しましたが、
人の心の深さはこのように簡単に分類できるものではなく、掘り下げても掘り下げてもまだ底が見えないのが人間の心です。
深くいってもまだあるのです。終わりがありません。
ケア提供差自身が喪失体験や虐待などの体験がある場合、やはりそのことがきっかけで苦しさを抱えることとなり、自分の心を見つめるということが多くなります。
その傷が癒された、辛い出来事と折り合いがつくようになった、あるいは傷は癒されないとわかって傷を抱えているからこその私なんだという気づきに至るなど、とても深いところに到達している人も多いです。
相談者によっては、「同じ体験をした人に聴いてもらいたい」と思う場合も
カウンセラーなどのケア提供者側は、喪失体験や辛い過去が特にないという場合も、自身の心を深く掘り下げることによって他者の心に共感ができるようになってきます。
しかし、話を聴いてもらう相談者側の希望として「自分と同じような体験をした人に話を聴いてもらいたい」と思うことはあるようです。
また「同じ体験をしていない人には気持ちをわかってもらえない」という先入観を持っている場合もあります。
逆に「同じ体験をしていると思うと、まだ癒されていないかと思い気の毒になるので、体験者じゃない人がいい」
などさまざまです。
同じ体験をしているかどうかという事実を変えることはできません。
もし体験をしていないこと(あるいは逆に同じような体験があるということ)で相談者に拒否をされるようなことがあってもそれは相談者側の問題であり、相談者側の希望と合わなかったということなので、仕方ないですが気にしないことです。
全ての人に受け入れられるのは不可能でし、完璧になることも不可能です。
同じ体験はできなくても、心を掘り下げること、自分を知ることは必須
同じ体験があれば相談者の話を聴きながら相談者の気持ちを想像することがより容易になるかと思いますが、同じ体験をするというのは実際には不可能です。
しかし、自分自身の心を掘り下げ、自分とはどういう価値観を抱き、どういう人間なのかということを探ることは可能です。
他者と同じような大きな体験をしていないから、カウンセラーやスピリチュアルケアの提供者になるのは難しいのではないかという思いを抱く方はいますが、体験の有無はいわば個人の表面上のもの。
目立った体験がなくても人間の存在というのは、探れば探るほど、誰もが深みに達するでしょう。
一人の人間としてはそのような体験は乏しいように表面上は見えるかもしれませんが、実は皆が悲しみも苦しみも痛みも、心の深い次元では同じように有しているのではないかと感じています。
深く自分を知るほど、他者への理解と共感も深まりますので、同じ体験がなくても訓練次第ですばらしいケア提供者になれると私は思います。