PTG(Post Traumatic Growth) 心的外傷後成長
2012年に上智大学グリーフケア研究所に
通っていた時ブックレポートの課題にこの本を選びました。
近藤卓 編書 金子書房
PTG Post Traumatic Growth 心的外傷後成長 本の目次と概要
PTSDはPost Traumatic Stress Disorder
心的外傷後ストレス障害
それに対して、何らかの外傷体験のあと精神的な成長が見られるもの。
傷ついた経験がその後の成長の原因となるものをPTGと呼びます。
以下、目次を抜粋
第1章 PTGとは何か
1 PTGとは何か
2 身近にあるPTG
3 研究対象としてのPTG
4 自尊感情とPTG
第2章 さまざまな場面でのPTG
1 大震災とPTG
2 突然の死により遺された遺族の成長に関する―考察
3 看護師の悲嘆とレジリエンス
4 遺族ケアの基本姿勢とアセスメントの重要性
5 長期にわたる喪失体験によるPTG
6 がん終末期患者とPTG
7 悲しさは変わらない、でもそれでいい
8 小児がん経験者の精神的成長
9 子どもの性的虐待サバイバーとPTG
10 子ども・いのちの教育・PTG
11 子どもの元気とSRG(Stress Related Growth)
12 思春期の成長間連要因とPTG
13 高校生の事例からみるPTG
第3章 PTGとその周辺
1 アメリカにおけるPTG研究
2 レジリエンスの理論と測定
3 曖昧性耐性の理論と測定
4 PTG研究の今後の展望
索引
編者紹介
執筆者一覧
■本の概要
人が困難に直面すると、以前にも増して
人間的に成長するという話はよく耳にする。
昔話であったり、宗教的な寓話であったり、
ごく普通の人の体験であったりと、
身の回りに溢れている。
しかし困難に直面するという話を聞くと、
一般的にはマイナスなイメージで捉えることの方が多い。
例えばPTSD(心的外傷後ストレス障害)など、確かに困難となった外傷経験から、生活の様々な面で以前と同じ水準を保てなくなることをよく耳にするし、恐怖を感じた後は行動を起こすにもまた同じ目に遭うのではないかという恐怖感からブレーキをかけてしまったりする。
困難に直面する人の多くはそれがマイナスになることも多いが、
逆に本人にプラスの影響を与える例も少なくない。
この本は、プラスの影響であるPTG(心的外傷後成長)が起こるプロセスを科学的に検証した事例を数多く取り上げている。
同じような環境にいる人に偏ったものではなく、子ども、看護師、がん経験者のPTG、性的虐待サバイバー、日本人だけでなくアメリカ人のPTGとバリエーションも豊富だ。
特に関心を持った内容
特にPTGが起こる要因として自尊感情がカギになるという点が興味深い。
PTSDとPTGを比較して、前者をネガティブ、後者をポジティブな変化と危機的状況を短いスパンで捉えるのは短絡的だとも述べている。
「不変のものはこの世にはないという認識のものに、比較的短いスパンで体験される
プラスやマイナスを超越することにこそ、
成長をみる文化だと思う。」宅香菜子 p.178
■ケアをする上での長所
人生の危機に直面している人のケアをするにあたり、ある程度PTGを予想し、
気持ちの中で余裕を持って、クライアントに備わっている力を信じ、長い目でその人のことを見ることができる。
■気をつける点
危機に直面したからといって
必ずPTGが起きるとは限らない。
また、PTGの概念を知っているからと
クライアントに成長することを押し付けてはいけない。
誰かから言われて成長するのではなく、クライアントが自分で自分の心に向き合い、成長するほかない。
ケアを提供する側は、あくまでサポート役なのだということを忘れないこと。
PTGについての追記
上記の記事を書いたのは5年前になります。
ケアの現場での実践を通しての気づきや
瞑想を通して心の奥を観察、
宗教的修行に関する本を読んだりして
人間の心のことが5年前よりもわかるようになってきました。
「成長」とはなにか現時点で思うのは
自己という小さな枠へのとらわれがより少なくなり、自己のいのちの背後にある「大いなるもの」「自然」の流れに乗る生き方。
そのような自分を生かして他者もそのような生き方に近づけるよう貢献すること。
行動ばかりが重要ではなく、たとえば病気で身体の自由が利かなくなり、最初は辛く苦しい気持ちでいっぱい、運命を呪い、誰も自分のことなどわかってくれない、関心もないだろうと孤独に陥っていたかもしれない状況。
そんな中でも家族やサポートしてくれる友人知人の愛情に触れ、徐々に心の中が変わっていき、他者にやさしさを示すこと、他者が平安な気持ちになるような態度をとるようになることなども「成長」と呼ばれると思います。
「成長」「PTG]という枠に当てはめた言葉で表現するのは軽すぎるように感じますが
・自分が自分でいてもいい。
・悲しみや苦しみを体験した私という存在を受け入れられること
・未熟で傷ついた自分を受け入れられること
・過去の傷へのとらわれが少なくなり、折り合いがつくようになること
・他人の幸福を願えるようになる
・他人の役に立ちたいと思うようになる
・他人を許せるようになる
・自分も他人も大切にできる
・自利利他の心が芽生える
・人生や生きることに対して真剣に向き合うようになる
・自分の体験を苦しんでいるために生かしたいと思うようになる
PTGやPTSDその他心理学でいわれているようなことは古くからの宗教の教えの中にすでに見受けられます。
同じような出来事を体験していても、その人の背景や気質によって全く異なる受け止め方をしますし、
反応が違うということは当たり前のことです。
人はみな、ある時は成長をし、ある時は後退をし、反応が個人の中でも毎回違うということも珍しくありません。
ある出来事がきっかけで心の中に苦しみを抱えてしまうということは
仏教的に言うと「執着」を意味します。
出来事というのはそれ自体に意味はありません。
しかしその出来事にどう反応するかが自分自身との出会いです。
事象に意味はなく、どう感じるか・・・
その感情があなたの抱えているもの。
自覚がないことがほとんどかもしれませんが、心の奥底にある「執着」「こだわり」が外の出来事となって現れています。
ですから苦難に遭うということは自分の抱えているものが他人を通して、出来事を通して現れることで、
それは「癒されようとしている」
「浄化されようとしている」
から現象化しているともいえます。
その時に、あるいは何年も苦しみ悩み考え抜いた後に心の底からの深い気づきがあれば、浄化される、つまりそれがPTG、心的外傷後成長です。
多くの場合は辛い出来事を通してよけいに心の中に「執着」を抱えてしまいます。
「なにも悪いことしてないのにどうしてこんな目に。」
「なんで私が不幸にならなくてなならないの。」
「あの人ばかりずるい!」
「どうして私の愛するあの人が亡くならなければならなかったの。まだ若いのに。納得がいかない。」
「あの時、ああしていれば。」
「あの人のせいでこうなったんだわ。」
出来事を何度も何度も反芻し、抱えている悲しみ苦しみを何度も味わいその過程はまさに「執着」にとらわれ癒しや浄化からは一見程遠いように感じます。
しかし、この辛いプロセスを経て、考えて考えて、悩み抜いて少しずつ少しずつ心の奥からの気づきや癒しが起こってきます。
辛いプロセスで、何年かかるかわかりませんがその出来事が起こる前よりもいつのまにか「成長」している。
あるいはある時突然深い気づきや癒しが訪れがらっと人間が一気に変わるということもあります。
こちら↓の記事内にも書きましたが
「苦難を体験し、強制的に心を入れ替えられる」ということと同じです。
自分ではもうどうすることもできない状況になった時どうにかしようともがくのをやめます。
するとそれまで抱えていたものが「反転」し気づきや癒しが訪れることがあります。
中国の「タオ」で言われている
「陰極まれば陽となり,陽極まれば陰となる」
にも通じます。
行きつくところまで行きつけばひっくり返るということです。
この本の中に自尊感情がレジリエンス(回復する力)に影響しているのではないかと述べられています。
自尊感情は自分のことを大切に思う心のことですが、幼少期に培われるとされます。
大切に育てられ、それを本人も感じながら育つ自己肯定感や自尊感情が高くなるとのことです。
そうやって心の中に自尊感情という「種」が植えつけられ、日常でそれが他者への思いやりや積極的な行動となって発揮される。
またそれだけでなく、苦難という危機的な状況においても「種」が多い分それが発芽する数が多いということだと思います。
読んでくださりありがとうございます。