数と非二元。この世に現れた現象は
「数学」で表すことができるのではないか。
それを読み解くというのは現象の背後に
かくされた意味を読み解くということ。
ゼロと1。
宇宙は一つ
universe のuni は一つのという意味。
verseは回転する
universe「回転して一つになったもの」
数という概念はもともとは存在しないが、
ものを「分ける」ことによって数という考えができた。
同じようにこれとそれ、これとあれという風に区別するために「名前」がある。
0・ゼロは「空」。あらゆる可能性をはらんでいる。
背後にあり、現象界を支えているもので、すべてを含む。
「光」とも似ている。
「光」つまり「透明」な光は色が無いように見えるが、実は赤、黄、青、緑、黒、水色・・・・すべての色を含んでいる。
ある時は赤にもなり、ある時は黄色にもなる。
1は「色」、この世に現れた現象。
色即是空、空即是色
0と1は表裏一体ということか。
十進法で0~9までの記号を使い、数を表すことが一般的。
1~9はもともと1のものを分けているので、
元に戻して1。
ゼロと1、二進法ですべての数を表すことができる。
ものごとは個別で存在しているように見えるが、
本当はつながっている。
易、二進法、デジタル。
東洋思想。
陰と陽。
一つの現象には必ず二つの側面が存在する。
利己心と利他心。
どちらかに行き着くと必ず反転するようになっている。
素数の糸かけ曼荼羅は、起点ゼロから出発。
円を描きながら、すべてのピンを回って最後必ずゼロに戻ってくる。
円を描く・・・縁を描く。
素数というのはあらゆる数の「素」となる数。
prime number
primeは「素となる」という意味。
2、3、5、7、11、13、17、19、
21、23・・・・・
自然界のあらゆる数は素数が素となって成り立っている。
例えば4は 素数2×2
10は 素数2×5
20は 素数2×2×5
素数の現れ方に規則性を見つけ出そうと
数多くの数学者たちが挑戦し続けているらしい。
まだ解明されてはいないが、
どうやら円周率のπ(パイ)との関連があるかもしれないとのこと。
この本もなかなか面白かった。
以下は私が感じていること。
個人が体験した象が素数2とする。
その後、その人が体験した別の現象が自然数6だとする。
自然数6が引き起こされるには
元もと体験していた素数2の体験が必ず影響していて
素数2の時点で業のようなものを抱えているということではないか。
「いつも同じような目にあう」
「なぜか自分を傷つける人ばかり好きになる」
「挑戦しようとすることが毎回うまくいく」
「『トラウマの再演』のように繰り返し傷つく環境に身を置いてしまう」
「くじに当たる確率が他の人より断然高い」
このような現象も素数と素数から成るもっと大きな自然数と関連しているように感じる。
人の行動パターンも数学で現わすことができるかもしれない。
すでにAIがやっていそうだ。
曼荼羅は「本質」「宇宙」を表す。
また宇宙というのは自分自身でもある。
曼陀羅の中には自分がいて、
他者の存在や自分を支えるあらゆるものが配置されている。
自分もまた同時に誰かの支えになっていることがわかる。
完成した糸掛け曼陀羅のピンを一つ抜いて
糸をほどくともう成り立たなくなってしまう。
すべてのピンがそろい、さまざまな色の糸は
人が抱くさまざまな「意図」のようにも感じる。
宇宙の中で、「個」として存在する自分から発した
思いや行動はほかの人を通して、
めぐってまわって、
最後に自分に還ってくることを因果応報と呼ぶ。
これは「個」としての枠の中で生きている次元でのみ働く法則。
素数の糸掛け曼陀羅も、
起点からスタートし、
全てのピンに糸をかけ終わったときに
必ず最後、元の起点に戻る。
他人と自分は別の存在、
そのようにとらえるのが普通だが、
本当は分かれて存在しているのではなく、
つながっていてすべては一つ、自分、宇宙だから。
誰かを傷つけた、誰かに親切にした。
そのような行為は巡り巡って還ってくるといわれている。
それは他人に対して行ったようで、
実は自分が自分自身に行った行為だから。
でもそれ「超えたら」関係なくなるのかも。
>>>>糸かけ曼荼羅は動的瞑想。作成のプロセスで起こることは自分自身を現す

コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。