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あなたの好きなことは本当に好きなことなのか。天職としての好きを考える

天職。好きなこと。仕事。

スピリチュアルな引き寄せの法則などでよく言われているのが

好きなことを仕事にするとうまくいくというものがあります。

私もそれは本当にその通りだと思います。

最初はなかなか仕事にならないかもしれませんが長い目で見ると

好きなこと、情熱を注げることをというのは強いです。

好きなことを仕事にする過程で一時的に経済的困難に陥ることがあるかもしれませんが、

好きでもないこと、情熱を感じないことを

不安だからという理由で続ける方が人生の損失だと思っています。

そのような状況を変えたくても変えることができないという人がほとんどでしょう。

でもそんな状況でも少しの時間でもいいので、好きなことやほっとできることをやって、自分をいたわる時間を作れるといいですね。

さて「好きなこと」は本当に「好きなことなのか」というのが今回のトピックですが、

自分が好きだと思って情熱をかけていることって、

本当にそれは心からの好きなのかということです。

例えば、ファッションが好きでいつもおしゃれに気を抜かないという人。

本当に好きなのであれば四六時中そのことを考えることが楽しくて仕方がない。

ファッションについて追及すると時間を忘れ没頭するし、

プライベートでは堂々と自分の好きな恰好で出かけられる。

ファッションのことを考えているだけで幸せで満ち足りた気分になる。

このような状態であれば純粋に「好き」なのだとわかります。

お金にならないからやめておいた方がいいと言われても

ぜひともやりたいと思ってしまうものとも言えるでしょう。

天職につながる「好き」ですね。

一方、第三者から見ると同じように見え、本人もファッションが好きだと思っていて、

しかし心の奥を探ると純粋な「好き」とはちょっと違う場合があります。

承認欲求を満たしたいなど動機が後ろ向きであったり、単なる気晴らしの「好き」場合です。

周りの人にアピールしたい。

みんなに認められたい。

スタイルを良く見せるのが目的。

異性にモテたい。

流行を追っていないと不安で取り残されるのはイヤ。

こういう理由、こういう動機が占める割合が「純粋にファッションが好き」という

割合よりも多い場合

それは自分に足りないものをファッションに求めているという度合いが強いので

ファッションのことを考えて没頭するというより

自分がその恰好をしてどういう風に見られるかということについて没頭しているのかもしれません。

前者の場合であっても幾分かは「こういう風に見られたい」といった

動機を抱くこともあるでしょうが、

それが前面に出ているわけではなく、

やはり純粋に好きという気持ち、考えているだけで満たされた気分になる気持ちの方が強いですね。

後者は満たされる充足感というよりも

自分の足らないところを埋めるという意識が働いています。

もちろん、ファッション自体を楽しむという気持ちもあるでしょうし、

素敵な服を着ると幸せな気分にもなるでしょう。

ファッションが好きと言っても前者ほどの情熱を保っているほど

没頭しているわけではありません。

こういう場合の「好き」は天職としてやっていきたい「好き」ではありませんね。

好きなことは何かと考えて、

ゲームやテレビという場合も

本当にそれが好きで好きで天職だという人はいますが、

多くの場合は気晴らしや心の安定を保つといったレベルの「好き」という場合が多いです。

 

また私の場合ですが学生時代は英語学習に没頭しておりました。

当時は「英語が私の恋人」などと言って

一日5,6時間は英語のトレーニングをして、

自分でも英語が好きなのかと思っていました。

しかし振り返ってみると、

確かにそれなりに英語が好きではありましたが

半分は自分の存在を周囲に認めてもらいたいからという

承認欲求が動機となって

「この勉強をこれだけやったら結果がこれくらいになる」

などと常に結果を気にしてやっていたということに気づきました。

 

英語そのものが好きというよりも、

英語をマスターした後の自分の状態がどうなるのかについて興味があったのです。

これは「自分には足らないところがある」という欠乏意識からくるものです。

当時は英語=私の天職くらいに思っていましたが、今になってそれは違うということがわかります。

英語の仕事も、学生時代の引き続きでそれなりに情熱を持ってやっておりました。

動機が「欠乏意識」からであっても本気で取り組もうというモードの時は

それが情熱となり一生懸命に取り組むことができます。

しかし、ある時から「欠乏意識」ではやっていけない、「満たされているから与えよう」という「充足意識」からの動機でないと動きたくないと思うようになりました。

 

人生に無駄はないと言いますが

英語自体はこれからも一つのツールとして生かしていこうと思っているので

学生自体の経験はそれはそれで良かった、必要なことだったとも思います。

英語の仕事を辞めた後でも、英語の本を読んだり、YouTubeの動画で英語の練習をしたりということは続けております。

 

天職レベル、ミッション、ライフワークとなると

必ずそこに「他者の幸せに貢献する」ということが絡んできます。

どんなに小さく、些細に見えることであっても

自分も充足感を感じ、他者にとってもそれが喜びになるものが天職につながっていると思います。

自分で「これが好き」と思っているのに

なんだかしんどい、

やってもやってもできている気がせず満たされない、

競争意識がわいてきて楽しむことを忘れがちになる、

自分だけが楽しめばいい、他人はどうでもよくなる

そんな状態が強ければそれは「天職」の好きとは違うでしょう。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

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