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カルマ・ヨガとは?葦原瑞穂さんの「黎明」から

知る人ぞ知ると言われている葦原瑞穂さんの「黎明」

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【新版】黎明 上巻

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正規の値段よりも少しお安く買おうと思い、メルカリで上下2巻5000円で買いました。

新品同様だったのですが、長期保存のためかにおいが付いていて・・・。

内容はとても興味深いのですが、においが気になって集中して読めないのです。

やっぱり新品を買っておけば良かったと後悔しております。

 

この著者のことを知ったのはつい最近ですが、内容は深く濃く、とても丁寧に書かれています。

この世とあの世のしくみ、普遍意識、アストラルやメンタルといった次元のこと、占星術、日常の生活などテーマは多岐にわたります。

スピリチュアリティを深めていくということは、目の前にある日常を丁寧に生きることなのだと、姿勢を正されるような感覚になります。

 

カルマ・ヨガについてですが、これは「行為のヨガ」「行動のヨガ」と呼ばれていて、日常生活でできるヨガという意味。

自身の置かれている日常の環境で、結果を気にせず、見返りを求めずに愛の行為を実践していくことを意味します。

ビジネスパーソンであれば仕事場で、家庭の主婦であれば家事を通して、小さな子がいる親であれば、子育てを通して、目の前の人・物事が善くなるよう、喜んでもらえるよう、愛を込めて関わるということです。

私たちはもっと自分に合った仕事はないか

もっと良い環境はないかと

自分の使命を未来やどこか別の仕事に探しがちですが、すでにそれは目の前にある。

すでに目の前にあるやるべきことが、使命であり、他のことに気を取られることなく、心を込めて、でも結果を気にせずにこなしていくことが課題であると。

本山博先生のおっしゃる「超作」とほぼ同じ意味になります。

 

神のはらたき、宇宙の意志、普遍意識が、私やあなたという個人を通して表現されることですね。

神様になったつもりで目の前のことに取り組む。

目の前の相手もまた、神様の表現をしているのだと思って、愛を持って接する。

行為そのものになるというのは、その行為に没頭し、エゴによって自分の都合を優先しないことをいいます。

これは取り組んでいる仕事や活動の内容によって、ついつい他のことを考えていたり、相手のためを思うよりも自分がらくをしたいなどと思ってしまいますね。

特に自分にとって好きではない仕事や、単なる作業をやる場合は、「早く終わらせたい」「家に帰っておいしいものを食べたい」と意識が「今ここ」から離れてしまいがちです。

 

ここからは、私が常々思っていることを書きますが、

個人的な心の傷やインナーチャイルドの癒しが進み、自分を大事にできてくると、自然と目の前のことに集中できるようになってきます。

以前紹介したたっつんさんの「シャンパンタワー」が似たような内容ですが、本当にその通りだと腑に落ちます。

関連記事:自分を満たすってどうすればいいの?この順でいけばプロセスは起きてくる

カルマ・ヨガができる状態というのは、心の傷がある程度癒えて、自分にとらわれることが少なくなった状態。

自分の中に満ち足りたものがあるからこそ、溢れ出る分を他者に与えられるのです。

 

また、仕事を選ぶ際にも、給料や条件など「不安ベースで選ぶ」「足らないから選ぶ」という「欠乏意識からの選択」をしなくなります。

「自然体で働けるかどうか」「仕事内容が向いているかどうか」「価値観が合っているかどうか」などといった「充足動機」から選択するように変化していきます。

個人的な心の傷やブロックの影響が強いと、行動の動機が「不安を解消するため」になるので、没頭できる方が難しいですよね。

本当はやりたくないのに仕方なくそれをやっているわけなので。

カルマ・ヨガや超作は、目の前の人や物事に対して、誠心誠意、愛を込めて結果を気にせずに行為を行うことを言いますが、自分が満たされていないのにそれを行うのは本当に難しい。

他者のために尽くそうと頭でわかっても、気持ちが付いていかないのは、満たされないままやっているから。

一生懸命取り組んだとしても、

「本当はしんどいのに」

「なんで私ばかり」

と、こんなことを思いたくなくても思ってしまいますよね。

そう思いながら取り組んだとしてもそれは自己不一致なので、カルマ・ヨガをやったことにはなりません。

葦原瑞穂さんも本の中で書かれていますが、根底に流れる「波動」が伝わってしまうのですね。

 

「思わないようにして一生懸命仕事をしないと」と頭でねじ伏せて、表面上はうまくいったように見えても、ウソをついて我慢し続けているとやがて身体や心の病気となって症状が現れます。

他人ではなく、まずは自分自身に対して「カルマ・ヨガ」を行うことが先。

足を骨折しているのに、けが人を運ぼうとしているようなもの。

 

抑えている本当の気持ちを聴いてあげたり、体を休めたり、我慢をやめていったりと自分自身に優しくすることです。

不満や不安があったら、それがどのようなものの考え方からやってくるのか、丁寧に心の中を見て見ることで、気づきや癒しに繋がります。

そして、イヤなことの中にも何か自分にとって「この部分は好きだな」と思えるところを探し、日常で好きなものに触れる時間や、心地いいと感じられる時間を作り、ちゃんと幸せを味わうことです。

カルマ・ヨガは日常の営みを行う個人を通して神が表現することですが、自分自身にカルマ・ヨガができていないのに、どうやって他者に対してできるのでしょうか、と思うのです。

そしてある程度自己浄化が進んだ状態で、カルマ・ヨガ、ぜひ取り組みたいですね。

日常を丁寧に。

幸せがまずます幸せになっていく修行ですね。

今日もお読みくださりありがとうございました。

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