家の中が片付いていないのは、私の責任じゃなかった
元々片付けが大嫌いで苦手そのものでした。
そのためできるだけ嫌いなことに時間を取られないようにと
十数年前から「いらない物を捨てる」ということと
余計な物を買わない、増やさないということを意識してきました。
そのため家族の中では私の服が一番少ないですし、
定期的に自分の持ち物を整理しているので「私の」所有物は少ないです。
それでも物を取捨選択し、完璧に整理するという段階まで行き着かずにいます。
完璧にはできていないのですが、それなりにすっきりはしています。
しかしそれは「私の」所有物の話であって、家族の所有物は全く別。
家族の物も「私が片付けて整理するのが当たり前」みたいな習慣になってしまっているというか
「やって当たり前」と思われているのですね。
服でも何でも出した人が片付けるべきだと思うのですが
タンスの上に積み重ねたり、散らかすだけ散らかして、
片付いていないとまるで私がいけないかのような、
私が主婦としての仕事をちゃんとやっていないかのような扱い。
私もそういうもんだと思っていたフシがあり、
「どうしていつも片付けが終わらないのか」
「どうして私自身はミニマリストなのに汚部屋に住んでいるのか」
と、やってもやっても終わらないイタチごっこの片付けに疲れ果てていました。
毎年毎年やっていることでもありますが、今回もまた2018年の年末、家族の物はほとんど手をつけず、まずは自分の領域で乱れつつあった物を整理したり処分しました。
やはりまだ完璧に終わったわけではなく、
片付け以外にも洗濯やら夫の実家の手伝いやらがあったので
作業がゆっくりペースになってしまうのです。
ゆっくりでも捨てる作業、断捨離などの作業をしていると
自然と心を見つめることにもなり、
「部屋が散らかっているのは本来片付けるべき人が自分でやらないから。私は自分の領域だけやって、他は本来やるべき人がやればいい。」
と思うようになりました。
自分の物の片付けではなく、
人の分の片付けを「やってもやっても終わらない」と
まるで人の分まで私がやらないといけないかのように
自分に責任を押し付けていたことに気が付きました。
そんなことしなくていいのに。
他、何か頼まれたら「はいはい」と、お茶を入れたりティッシュを取りに行ったり、言われたことをやっていましたが、
自分でできることは自分でやらせようと思います。
いろんな気づきがあるのですが、
結局捨てるべきだったのは
「私がやらなきゃという思い込み」
「しなくていいのに自分にダメ出しをしていたこと」
でした。
人の分までやるのをやめようと思います。
それで嫌われたら
「知らんがな」です。
今後も家の掃除はやりますが、人が散らかした持ち物の管理・片付けは放っておきます。
自分の分の片付け作業、少し残っているので引き続き取り組みます。
帰省するので来週以降です。
次に続きます。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。