相手に興味・関心を持てない

対人援助の仕事をしていると、相手に興味を持って接することの大切さを教えられることが多いです。

英語講師の時もそうでしたし、グリーフケア・スピリチュアルケアもそうです。

介護のパートもそうです。

しかし、時には興味がわかないこともあります。

それって私が愛に欠けてるってこと?

冷たい人間なの?

相手に対して興味関心がわくかどうか、自分の中で相手に対する何らかの感情が芽生えるかどうか、というのは、実は相手自身がその人自身のことをどうとらえているかということを反映していることもあります。

対人援助における「ケア」というのは、相手の本来の姿を引き出すことにあります。

その人がその人らしくある状態ですね。

不自然に取り繕うことが社会では必要かもしれませんが、そうではなく、ケアというのは取り繕わなくても、素のままの姿でいられる状態に導き、その人のいのちが輝くようにサポートすることです。

その人本来の自然な姿を取り戻すお手伝いです。

対人援助のケア提供者は、相手をどうこうする前にまずは自分に対してそれができてないと相手のことはケアできません。

相手に興味がわかないという場合にも段階があります。

1.ケア提供者自身が癒されていない場合

相手のことをケアする前に、自分の心の問題を抱えている場合ですね。

自分のことにどうしてもとらわれますから、目の前に相手がいて、形の上では対応していても、それは自分の枠にとらわれた対応となってしまいます。

自分の価値観や思い込みに、相手を巻き込んでしまうということ。

相手の話を聴いているようで、自分の物の見方から解放されておらず、相手を自分の都合でコントロールしようとしてしまいます。

無意識のうちに。

でも自分では良かれと思っているし、相手のために対応していると思い込んでいたりする。

この段階では自分の物の見方に相手を合わせようとしていることにはなかなか気づきません。

ですから、これは相手に興味があるとはいえず、自分の問題が解決されていないから起こりえることです。

2.ケア提供者がある程度自分の枠から自由になっている場合

研鑽が進むと、自分の中に起こった感情が、それが相手の心を映し出したものなのか、自分個人のものなのか、あるいはミックスされたものなのかがわかるようになってきます。

相手に対して興味や関心がわかない場合、その相手もまた、自分自身に対して興味がない、自分を大切に思えないということかもしれません。

日によって興味関心の度合いが高まったり低くなったりもします。

引き寄せの法則でも知られていることですが、他人からの対応というのは、実は自分が自分にしている対応でもあります。

その相手自身が、自分のことに興味がなく、自己否定のかたまりだったら、その状態をあなたの心がキャッチして、「この人には興味がわかないな」と感じているのかもしれません。

逆にめちゃくちゃ惹かれるという場合、相手は自分自身のことを大好きで自己受容がかなり進んでいて、それをあなたの心がキャッチしたのかもしれませんね。

他人から大好きという気持ちを受け取って嬉しい場合は、自分で自分のことを大好きということですね。

自覚は無いかもしれませんが、自己受容の度合いが深いということです。

 

私自身、グリーフケアやスピリチュアルケアで関わる人にはとても関心があり、親身になって対応させていただいております。

これは、その方たちが、「自分の人生をどうにかしよう」と結構必死な思いを抱いていることが多く、それは自分が大切だからですよね。

「この苦しみをどうすればいいのか」

と思い、自ら望んで足を運ぶわけです。

その思いをキャッチしているので、自然と関心がわき、真剣に関わらせていただくことになるのですね。

一方で、認知症の方たちの介護のパートにも行っていますが、日によって、人によって全く興味・関心がわかないことがあります。

仕事なのでうまく対応はしますが、先ほどの例とは異なって「来てちょうだい」と言われたわけでもなく、介護を望まれているわけでもない、という場合があるのです。

人によってもちろん異なりますが、重い認知症となると言語でのコミュニケーションも取れませんし、人間としての意識、個人としての意識ではやってられないような状況にも出くわします。

人間には個性があり、それは「どんな人の助けになりたいか」ということを明確にする上でヒントとなりますね。

私は言語でのコミュニケーションを求めている人のケアに携わりたいのだということがわかりました。

今後もしかしたら私の中にも変化があるかもしれませんが、介護の仕事ではたましいレベルの揺れはなかなか感じられません。

グリーフケアやスピリチュアルケア、メール相談やブログ執筆と違って、「ゾーンに入らない」のです。

それらに携わっている時は本当に没頭しますし、深い喜びを感じます。でも認知症の人の介護はちょっと違う。

適職であっても、天職ではない。

スピリチュアルケアの訓練をしてきたので、対応はちゃんとできますし、スピリチュアルケアと重なる部分も多く、それなりに充実感は感じますが、感情レベルに留まっていてたましいレベルではありません。

 

重い認知症の人が、自分自身に興味・関心がないのか、というと(もちろん人によりますが)そうではないと思います。

人間はみんな多面体なので、そういう面がたまたま現れていて、私がキャッチしたということ。

でも、これが「認知症の人の介護が天職だ」という介護士の場合はどうでしょうか。

自己受容の深い部分が、その人といる時は現れていて、たましいレベルでは生き生きとしているかもしれません。

見た目からは何もわからなくても、そういうことはあると思います。

「私はこういう人を助けるのが天職だ」

どんな人の助けになるのが自分にとっての天職なのか、自分が関わりたい人の援助ができているのか、ちゃんとマッチしているのか、ということも興味・関心がわくということに大いに影響しているでしょう。

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

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