入れ歯を外した顔、というのは素の顔ということになりますでしょうか。
2020年から高齢者施設で介護のパートをしておりますが、歯磨きの手助けをする際に義歯を外した顔を見て、はっとするのです。
普段は入れ歯を装着しているためか、本当のお顔よりもずっと若く、また元気そうに見えます。
仕事中はそのお顔を見ている時間の方が圧倒的に長いことになります。
でも、歯磨きの際に入れ歯なしの本当のお顔を見て、
「ああ、この人はこんな顔をしているんだなあ」
「普段見せる顔よりもずっと年を取っているんだなあ」
「この人は(思っているより)ずっと『おばあちゃん』なんだなあ」
と思います。
顔の印象が変わると、関係性までもなんだか変化するような気がします。
入れ歯を外した顔を見て、こちらも「役割」が外れるというか・・・・。
普段は「利用者の〇〇さん」と、「介護ヘルパーの私」、という仕事の範囲内での役割が、
一人の人間としての「〇〇さん」であり、「おばあちゃん」という感覚が強まります。
また、私自身も役割のもっと奥にある素の自分が出てくるような感覚になり、大切な時間をともに過ごさせていただいているんだな、と思います。
人間と人間の関係というところに戻ってくる感覚でしょうか。こんな時にスピリチュアルケアなんだな、これも、と思います。
ケアをする側、される側というのは外から見た関係性ですし、また実際に物理的な介護をするのは私なのですが、
スピリチュアルケアで言われている「双方向のケア」が成されているのでしょう。
どちらか一方だけがケアされるのではなく、ケアが起こる時というのは、ケアされる側だけではなく、ケアする側にも起こるのですね。
なので「ケアする側」という言い方は本当は変なのですが・・・・・。
現場では介護以外にも色々とやることに追われ、本来の仕事である「その人らしさを支える」「その人が主役のケア」といったことから離れてしまいそうになります。
素のその人自身が垣間見える瞬間というのは、ちょっとした会話からであったり、利用者さん同士の触れ合いだったり・・・・今回のこの入れ歯を外した顔だったりします。
しわくちゃな口元からは、苦労しながら生きてこられたその方の背景が垣間見える感覚・・・・。
私が知っているのは、本当にわずかなことのみ、しかも仕事を通してなので本当に少ないのですが、
その方はここに来る前もずっと人生があったわけで、
生まれて育って、結婚し、仕事をし、子育てをし、病気を経験し、だんだん老いていって・・・・それぞれどんなことを感じ、どんなことをどうやって乗り越えてきたのだろうかとか・・・・その人自身の物語があるのだなあ、と。
ほとんどの人が終の棲家としてそこに入居しています。
私たちが関わっているのは、その人にとって人生最後の数年間であり、本当に大切な時間なのですね。
忙しいので満足な関わりができないこともありますが、入れ歯を外したお顔のことは常に心に留めておきたいと思います。
今日も読んでくださりありがとうございました。