スピリチュアルケア。認知症の方のスピリチュアルペイン。私の中に現れた感情は・・・

先日からグループホームでパートをすることになりました。

独立してグリーフケア・スピリチュアルケアのカウンセリング活動を軌道に乗せてやっていくためにも、別のところから確実に収入を得ながらのほうが精神的にもゆったりした気持ちでできますからね。

この別のところから収入を得るという形はフルタイムだと時間が無くなるのでNG、自分に向いていない仕事だとそこでエネルギーを使ってしまってやはりやりたいことに使う気力までもが無くなってしまうのでNGなのです。

ということで、ストレス少なくできることでかつライフワークのスピリチュアルケアが生かせる分野でもあるグループホームで働くことになりました。

グループホームというのは認知症の高齢者が家庭的な雰囲気の中で過ごす施設で、1ユニットが9名、私の行っているところはフロア別で2ユニット18名までの方が暮らしています。

老人ホームだと人数も多くなりますが、9名だと一人ひとりに目が行くので時間的にも余裕を感じながら過ごすことができます。

といってもやはり介護業界はどこも人手不足ですね・・・。

職員の方がゆっくり話す時間がないことも多いそうで、今回パートで入ることになって、少しでも話す時間が取れて喜ばれるのではないかと言っていただきました。

守秘義務があるので、個人的な情報を載せることはしませんが、今感じていることを書いてみます。

 

認知症が進んでいるという意味をスピリチュアルケアや宗教的な視点で見てみると、

これは知的能力の衰えとともに自我も弱まってきているということですね。

子どもの状態に戻っていくような感覚で、コミュニケーションも「今ここ」で何を感じているか、感じている気持ちをそのまま表出されます。

このような状態は私たちがスピリチュアルケアや瞑想などの訓練を経てそうなっていくプロセスと似ています。

感性と感性のやり取りになります。

本当に素直にありのままを出されるので、こちらも取り繕うことなく素の自分でいられますが、これは訓練を通してそうできるようになったので、世間体やら常識やらにとらわれてがんじがらめになっている人にとったら、認知症の人とのコミュニケーションが苦痛に感じることもあるかと思います。

どうしても話の内容に対して反応してしまうのが通常なので、「それは間違っている。」などと言いたくなったり。

特に家族は難しいかと思います。義母とのやりとりでも私は話を聴けますが、夫はそうではないこともありますので。

 

私自身、入居者の方たちとおしゃべりができて心が癒されました。

ありのままでいられる時間を私自身が過ごせたということは、きっと入居者たちもそうなのだと思います。

否定されたりもっとこうなりなさいと押し付けられるのは苦痛ですが、それがないのでらくに感じました。

職員の方たちにも受け入れてもらい、話もはずんだので良い感じで帰宅しました。

しかし帰宅後にしんどさを感じたのです。

「あれ?なんかおかしいな。今日は心が穏やかだったし、素の自分でいられたし、おしゃべりで癒されたのに、なんだかしんどくなってきた。なんなのだ、この気持ちは?」

しんどく感じた気持ちを見つめてみると

・今度どうなるかわからない心細い気持ち

・大事なものが遠ざかっていくような、置いて行かれるような不安

・グループホームでは素の自分でいられてそれは嬉しいけど、元いた場所(私の場合はグリーフケア・スピリチュアルケアの活動の場)にも戻りたい

 

「あれ?働き始めたばかりやのにもう辞めたいのかな?」

「いや、辞めたいのとは違う。あの人たちに関わりたい。けどここオンリーではなく、やはり元の活動や仲間の元にまた戻りたい」

今後スピリチュアルケアの活動がグループホームのみになるということはなく、今までの活動と両立させながらやっていくつもりで、それは可能だとわかっているのですが、なぜかこのような気持ちになったのです。

「あ、これはひょっとすると入居者さんたちの心の奥にある気持ちを感じ取ってしまったのだろうな」

と気が付きました。

認知症であっても心の奥ではスピリチュアルペインを抱えているのだと思います。

子どものようになっていくというのは、子どもとイコールなのではなく、それまで自分を縛ってきたしがらみや制限などから解放され、ある意味自由になっていくことでもありますが、同時にそれまで培ってきた自分にとって大切なもの奪われてしまうということです。

症状の初期には自分が自分でなくなっていく不安や恐怖を感じたことでしょうし、自分はこんな人だ、こんな人格だという自己認識が変化し、徐々にわからなくなっていきます。

住み慣れた家庭から別の環境で暮らさなければならない苦痛も感じたことでしょう。

 

身体機能の衰えとともに排泄のコントロールができないというのは、本人にとって大変な苦痛なのだということも学びました。

また、表現することができないかもしれませんが、心の奥の深い部分では元いた家に帰りたい、家族に会いたい、若い頃のように社会とつながりたいという願いも持っているのではないかと思います。

あの場で言葉や態度で表現することは難しくても、潜在的に抱えているであろうスピリチュアルペインが

・これから自分がどうなるかわからない心細い気持ち

・大事なものが遠ざかっていくような、置いていかれるような不安

・グループホームでは素の自分でいられてそれは嬉しいけど、元いた場所にも戻りたい

という感覚となって私が感じ取ったのだと思います。

 

スピリチュアルケアの訓練や実際の今までの活動の場で、感性を研ぎ澄ますことをやってきているので、自分の感覚には自信が持てるようになってきました。

最初は「私の想像かな?」と思ったことであっても、他のケア仲間に確認すると同じように感じたと言われたことも多く、このようなことを積み重ねていくうちに、感覚を信じられるようになっていきました。

自分で言いますがまじめに研鑽を続けていますし、瞑想も続けているので感度は良いのです。

本人が心の奥底で感じていることを、その人自身が言語化が難しかったり、自覚に乏しい状態であったり、口ではこう言ってて本人も気が付いていないけど本心は違うよね、などということをキャッチしてしまいます。

 

その分ケアが行かせる場でないと働けないのですね、人のしんどさをダイレクトに感じてしまっても普通の職場だとそれをケアできるとは限らないので。

しんどい気持ちを抱えている人がいるとわかっても、業務以外のことはやってはダメだったりするので、相談してこない限り放っておくしかありませんから。

少し話が逸れました。

認知症でだんだんわからなくなっていく中でも、深い部分で苦悩を抱えている場合がありますし、周囲とのコミュニケーションが難しくなっていく中で、誰かが関心を向けてくれることや優しく関わってくれることに対して、元気だった頃よりもずっと嬉しく感じられるのかもしれないなと思います。

認知症だと一見穏やかで幸せそうに見えることも多く、それは本当にそうなのかもしれませんが、死に近づいていることも真実であり、たましいの痛みも抱えていらっしゃることもあるでしょう。

近い将来は仏さまだったり、大いなるいのちに還る存在であり、「個としての自分」「自我」の意識が薄れていく一方で、「本当の自分」「真我」に近づいていくのが人間であり、特にそれに近い状態にあるのが高齢者や認知症の方たちだと思っています。

ケア提供者が訪れなくても、大いなる存在がすでにその方の元にいることは間違いないです。

「本当の自分」「真我」「大いなるいのち」を映し出す役割をするのが、スピリチュアルケア提供者であり、ケア提供者もまた自我の働きをできるだけ脇に置いて、「無我」の境地で関わることなのだと思います。

そういったはたらきをすることで、相手が安らかにいられ、仏としてのいのち、大いなるいのちに近づいていける、戻っていけるのかもしれません。

ケア提供者が何かをすることで成されるのではなく、自我を介さないこと、無我の境地でただそこにいることなのでしょう。

 

 

私自身、これからどうなるか、心のままに進んで行くしかないのですが、自分の役割をさせていただきます。

読んでくださりありがとうございました。

 

 

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