グリーフ・悲嘆は解決策がない。それでも「たった一人の私」を受け止めてもらうことには意味がある

大切な人との死別による「悲嘆」「グリーフ」にはこれが正解という解決策はありません。

解決策のある問い・悩み、解決策のない問い・悩みを私たちは抱きます。

例えば解決策が思いつく問い。

友人とのやり取りですれ違いが起こってしまい気まずい雰囲気で帰宅してきたが、本当はどう思っているのか知りたいという場合。

「もしかしたら傷つけてしまったのではないか。」と家で悶々と考えてしまうことがあるでしょう。

しかしこのような場合は、勇気を振り絞り再度その友人とコンタクトを取り、誠実な態度で接すれば気まずくなった仲が修復され、一件落着となることが多いです。

信頼関係があり、勇気があれば解決できることです。

しかし死別をはじめ「スピリチュアルペイン」「たましいの問い」と呼ばれる苦悩に対する答えは、外側にはないのが普通です。

万人に通用するマニュアルはありません。

「あの人は苦しんで逝ったのではないか。」

「今あの世で幸せにしているだろうか。」

「私と過ごしていた日々を悔いているのでは。」

「たった数年しか生きていないのに。あの子の人生はどういう意味があったのだろう。」

「どうして私たちの元に生まれてきたのだろう。」

「大往生だと言われても、満足に親孝行もできず、最期も看取れなかったことがどうしても引っかかってしまう。」

スピリチュアルペインを抱く人の心の奥にしか答えや気づきはありません。

また「答え」が見つかる場合もあれば「答えがない」ことが答えであることも多いです。

ご自身の心を見つめ、固有の物語を紡いでいくこと、それが故人との絆を新たに作っていくこととなります。

そうやって亡くなった人が、新たな形で生きていく。

ですから、外の人間が

「あの人が亡くなったのはこういう意味じゃないか。」

「きっとまた生まれ変わって会いにくるよ。」

などという言葉をかけても、それがご遺族の心にピッタリと寄り添ったものでなければ安易な慰めにしか聞こえません。

ご遺族側が先にこのような発言をしていて、それに対して答えるのであれば別ですが、訊かれる前に答えを言って、傷つけてしまうことは多いです。

「あなたにそんなことわかるわけない」

「それは自分でも思ってるけど、たとえ正しくてもそこまで深く理解していないであろう人に言われると『ああこの人は表面的にしか接してくれないんだな』」と

という感覚が強まったりします。

誰の発言か

ということもとても大事なのですね。同じことを言われて受け取れない相手、この人の言ったことだからとすんなり受け取れる相手。

どこまで深く寄り添ってくれたかということで、たった一言でも、言葉が無くても

「ああわかってくれた」と癒されることがあります。

問いそのものの答えがわかったのではなく、

そのわからない問いを抱えて苦しんでいる私そのものを、まるごとわかってくれたんだと受け止めてもらえること。

私自身もまだまだ、グリーフケア・スピリチュアルケアに関してはわからないこと、体験していないことが多いのですが、現時点での体験からの理解です。

以下は過去記事「傾聴と共感の驚くべき力~話を聴いてもらって心が癒された私の体験から」

から一部を抜粋しました。

共感されることで心の奥のものがどんどんクリアに

話を聴いてもらって、

「そういう風に感じているのですね。」
「ああ、そうなんですね。」

という反応をしてもらった際の
なんとも言えないピタッと来る感じ。

ここには文字で書くことしかできず
内面の動きが伝えにくくて残念ですが

聴き手、ケア提供者の「そうなんですね。」という言葉一つですが

この言葉を「私の感情を深いところでくみ取ってくれたんだ」

という実感を持って感じることで

「ああ、本当にわかってもらえた。」という安堵感につながります。

「そうなんですね。」
「そういう風に感じるんですね。」
「辛かったですね。」

これらの言葉を、相手の感情にぴったり寄り添った状態、

すなわちケア提供者も同じような気持ちになって発すると
相談者側にはとても深く伝わります。

 

「そうなんですね。」

私の話を受け止めてもらった体験。

2018年のケア提供者の研修のある先生とのやり取りです。

このシンプルな一言。誰でも言うことができます。

しかし、誰もが言えない言い方の「そうなんですね。」があるのだと身をもって体験しました

ほんっっっとうに心の深いところから発せられる「そうなんですね。」はもうなんと言ったらいいのか、全く違うのですよ。

たったその一言で、すべてをゆだねられる、私のことをわかってもらえた、という深い深い癒しを体験したのです。

 

私には、私のことを大切に思ってくれる人がいるんだ。

私のことをわかろうとこんなに真剣に関わってくれる人がいるんだ。

そう思えることで、深い痛みを抱えていたとしても、生きていく力になります。

 

安易に解決策を提示し、かえって「この人は私のことなどその他大勢の一人なのでは」と思わせてしまう人もいます。

しかしこの先生はたった一人の私として接してくれる、その態度にどれだけ救われたことか。

「そうなんですね。」のたった一言ですが、全身から慈愛が伝わってくるのです。

 

私もまだまだ途中。精進するのみですね。

読んでくださりありがとうございました。

 

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