感情がある理由。感情のコントロールが外れると感情を道具として使うことができる

感情がある理由

私たちはさまざまな感情を抱きますが

そもそもどうして感情が存在するのでしょうか。

それは生きるためです。

例えば太古の昔であれば、外敵に襲われて死ぬなどということが当たり前にあり、

外敵から逃れて生命を維持するためには「恐怖」という感情が役に立っていました。

今になってもこの恐怖という感情を私たちは抱きますが、

生命の危機という究極的状況に対してというより、

人の目が気になるであったり、将来経済的に不安など

自分の「観念」が元となった恐怖が大半を占めているかもしれません。

なぜ感情があるのかというと、それは生命を維持するためですが、

人類も精神的、霊的に進化をしてきた現在言えるのは

自分を生きるため、自分の人生を生きるためという理由です。

究極的には宇宙の流れに沿った生き方ができるよう

感情がナビゲーション役をやってくれているのです。

しかし、多くの場合はそのナビゲーション役の感情そのものに

コントロールを奪われ、運転席に座ってハンドル回しているのは

あなたではなく「感情」だったりするわけです

 

自然な生き方に還る、宇宙の流れに乗る、あなた本来の生き方を生きる

というのが本来の生き方、天命を生きるとも言いますね。

人によってそれが何なのかは当然異なり、

多くの人に影響を与えるような使命を持っている人もいれば

小さなコミュニティで、少ない人にだけれども深い幸せを与えるという使命を持っている人もいるでしょう。

病気であっても障害があっても関係なくて

その人自身が活きる生き方、幸せにつながる生き方です。

何かを行うのかもしれませんし、

ただそこに居るというあり方かもしれません。

 

その本来のあなた自身の自然な生き方を邪魔するのが

「感情に執着してしまう」ことです。

感情が先にあるのか、執着が先にあるのかはわかりませんが、

「執着」こそが自然の流れ、宇宙の流れに逆らうものです。

何に執着しているのかということは感情を通してわかる

一体私のどんな執着が自分の人生を生きることを邪魔しているの?

と人に訊かなくても自分の心を見つめればわかります。

すぐにはわからないかもしれませんが、心を深く探るとわかってきます。

この世は過去も未来もあるように私たちは思い込んでいますが、

本当は「今ここ」しか存在していません。

「今」の瞬間というのは過去も未来もすべて含んだ「今」であり、

それが一瞬一瞬作り上げられているというのもおかしいですが、

「今」「今」「今」となっているのです。

その「今ここ」に心を開けない、素直になれない、過去や未来や他のことが気になるという状態、

過去のことをくよくよ悔やみ、未来のことを心配するというのは人間であれば誰もが経験済みでしょう。

その「今」ではなくて意識が過去や未来にいってしまうのは

どんな感情が満たされていないからなのかが心を深く探ることでわかってきます。

また心に抱えている執着というのはおそらく生まれる前から持って生まれてきます。

あなた、自分の人生を生きるのを邪魔している執着がこんな形で出てきましたよ~」というのが

色々な出来事によって沸き起こる「感情」に巻き込まれた状態。

あるいは

「あなた、心の中にこんなに痛みを抱えてたんですよ。癒して手放すために出てきたんですよ~。」

ということ。

癒して手放すために「辛いこと」といった試練がある。

 

出来事が起こって色んな感情、気持ちが沸き起こり、それを味わいつくして

受け止めて、その奥にある本当の本心は何だったのかを自分でつかみ取るのです。

 

感情が揺れ動き、それこそ七転八倒するでしょうが

巻き込まれて、さんざん苦しんで、

時間はかかるかもしれませんが、

心の深いところから自然と気づきや癒しが訪れることがあります。

それが感情が解放されたということ、

執着が外れたということ、

感情に巻き込まれるのではなく、自分がコントロールする側になったということです。

執着は「自然の流れをこれほど邪魔していますよ」ということ。

それがあると流れるものも流れていかないので

「これどけてくださいね」ということです。

ですので、その執着から解放されていないとき

邪魔なのをどけたつもりでどけ切れていなかったら

また同じような感情を味わう出来事に出くわし、向き合うことになります。

心の中では辛さを抱えているのに、

それを無いことにして我慢してしまったり、

大丈夫なふりをして心から血が出ているのに

そのまま無傷なふりをしたり・・・。

そうすると解放されずに

交通妨害していますよ~とのお知らせが

苦悩や喪失の体験、心が傷つく体験だったりするのです。

(このように書くと辛い人に寄り添っていないように聞こえるかもしれません。)

そう考えると、

自分の人生を生きる、宇宙の流れや大いなるいのちの意図に従って生きる、

使命を生きる天命を生きる

このような道を指し示す出来事が

大きな喪失体験や苦悩の体験ともいえるわけです。

喪失体験が先か、使命が先か・・・・同時に存在するのか・・・。

人生の前半は、この「執着」から自由になっていく時期かもしれません。

行動の裏にある本当の動機、本当に満たされたい感情を満たすことがまずは大事。

そうすることで少しずつ自由が戻ってきます。

自由になるにつれ、本来の自分の道が見えてきます。

そうすると感情にもコントロールされにくくなってきます。

感情のコントロールが外れると、感情を道具として使えるようになる

執着の感情が多いときはそれに振り回されるので

どの感情が自分をナビゲーションしてくれるものかのかがわかりづらいです。

しかしわいてきた感情に引っ張られるのではなく

感情を感情としてとらえられるようになり、

そして感性が研ぎ澄まされてくると

こっちの道に進んだらいいとか

こっちの道はうまく行かなそうだとか

あの人と今日約束してたけど、なんか会いたくないなと思っていたら向こうも体調悪くてまたにしましょうなんてことになったなど

沸き起こった感情が教えてくれるようになってきます。

ちょっと先の未来の警告なども

「不安」だったり「びっくり」するような感情をあらかじめ体験することで

ある程度予想ができるようになってきます。

直観が働く状態です。

誰もが本来はそのような感覚はあるのでしょうが

普段は感覚が閉じていたりとなかなか気づくことはありません。

しかし執着から自由になってくると

例えば私の場合ですが

道を歩いていて自転車にぶつかりそうになってびっくりするという出来事があると

「数時間後か数日以内に何かあるな」ということがあらかじめ予想できるといった具合です。

また自転車とぶつかりそうになるという比較的心配のいらない出来事なので

「まあびっくりすることがあるかもしれないけど、大したことじゃないな」ともわかるのです。

多くは何かしなければならないことを「忘れているよ」というサインだったり、

支払いを忘れているとか、家族から「いついつまでにお金が必要」と期日ぎりぎりになって言われるとか。

実際にあったのは

ぶつかりそうになって一瞬「ひやっ」とし

「これはなにかの忠告だな」と心の準備をした数分後

子どもが学費関連の書類を何日も私に見せてなくて

その日の夕方やっと渡されたものの、まさにその日が締め切り。

慌てて学校に電話し、必要な証明書などを用意する時間が必要だったので

締め切りを延期してもらったということがありました。

数十万円入ってくるかどうかの大事が書類だったので助かったのですが、

いのちに関わるような深刻な内容ではなかったのです。

本来ならば書類をもらってすぐに私に見せるべきなのですが

人間なのでずっと忘れていたといったこともあります。

ほかでは、これはもう10年以上前から予知に使っているのですが

虫や動物の死骸に出くわして「うわ、気持ち悪い」と強く思ってしまったその数日後

風邪や腹痛など体調を崩すのです。

虫そのものというより、「気持ち悪い」と思った感情が大事で、

そう思わなければ影響はないというか

数年間これに付き合ってきたので虫を見ても平常心を保つことができるよう気を付けています。

デカゴッキーだけは不意打ちで現れたりすると

熱を出したり、私以外の家族が体調を崩すこともあれば

夜窓を開けた瞬間に飛んできて恐怖のあまり大騒ぎをして私自身はけがをしたのですが、

数日後に当時3年半の間飼っていた金魚ちゃんが病気で死ぬということもありました。

「気持ち悪い」と思うというのは波動が下がっているということでもあり、

そういう時は体調が悪くなるのだと思いますが、

考えようによっては風邪や下痢、発熱は「浄化反応の一種」でもあるので、

「たまっていた悪いものが浄化できて良かった」と最近自然とそう思います。

またもっと冴えている時は上記のような体験に加えて直接わかるようにメッセージをもらう気がします。

人の口を通してだったり、本の中の文面だったり、メールの文章だったり、

メッセージを受け取ったときにどんな感情を感じるかによって、

「このことについて気になっていたけど、きっと大丈夫なんだな」と安心することができます。

そして自分の感情を信頼できるようになってきます。

そうすると権威のある人の考えだったり、世間では常識とされていることであっても

それに対して自分の感情が違和感を感じていれば

自分の方を信じるということができます。

もちろん誰かの言っていることの方が心にピンとくるのであれば、それを選べばいいでしょう。

そういうこともあります。

違和感を感じているのに「偉い人が言ってるから」と本心では納得いかないままそれに従うと結局後悔することが多いです。

たとえ自分の直観がたとえ間違いだったとしても自分を信頼できたということで納得することができます。

以上、読んでくださりありがとうございました。

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