「自分の人生を生き生きと生きていきたい。」
「本当にやりたいことを仕事にして生きていきたい。」
「好きなことで社会貢献したい。」
「他人の声に惑わされたくない。」
「社会の常識に不本意ながら従って自分を擦り減らすことに疲れた。」
「自分でやってみる方がうまく行きそうな気がする。」
人生を真剣に考えるとこのような気持ちを抱くようになることが多くなります。
「でもこう思うことって私のわがままなのでは?」
「世間一般の、そこそこの人生に特に不満を感じることもなく、安定が大事って言ってる人の方がやっぱり正しくて、私の感覚はちょっとおかしいんじゃないか?」
このような気持ちも同時に抱いたりして、自分の感覚を信じたい気持ちと、世間で言われていることがやっぱり正しいんじゃないかという気持ちをいったり来たり。
そうやって一応しばらくは会社や組織の枠組みの中で「悪くないかも」などと良い所探しをしながらお茶を濁しつつやってきたとします。
しかし、「でもなんか苦しい。」
「特別嫌なことがあるわけでもないけど、窮屈に感じる」
自分の深い所で感じているそういった閉塞感をもうごまかすことはできません。
これはあなたが間違っているのではなく、自己成長、自己実現といった「本当の自分で生きる」というプロセスに突入したから感じる感覚なのです。
そのような問いに無縁の人や理解の乏しい人、社会の常識・価値観にどっぷりつかってそれを疑問に思わない人からすると
「あなたは間違っている」「自分勝手だ」「失敗したらどうするの?」「真剣に考えた方がいい」などと言われることでしょう。
そういった声に今までしぶしぶ従ってきたからこそ、人生が行き詰まっていたのです。
では自己成長・自己実現のプロセスとは一体どのように進んでいくものなのでしょうか?
自分の現地点を知る
今の自分の状態は一体どの地点で、これからどこに向かうのかがわかっていれば、少し気が楽になりますし、忍耐強くあれます。
社会的な立場を象徴し、社会的な役割を演じる層。ほとんどの人が日常生活では決まり文句の層と役割の層の間を行き来している。
自分はどこの組織のどういう立場に心理学、トランスパーソナル、宗教的な教え、チャクラの覚醒の段階など、人間が「ビリーフ」というものから自由になって本来の自分を生きる道筋を説明してくれている材料はたくさんあります。
その中で今回はトランスパーソナル心理学やゲシュタルト療法の説明を紹介します。
ゲシュタルト・セラピーの精神構造モデル パールズの「自覚の層」
1.決まり文句の層
2.役割の層
3.行き詰まりの層
4.内破の層
5.外破の層
以下、吉福伸逸氏の「トランスパーソナル・セラピー入門」を参考に概要をまとめました。
1.決まり文句の層
「こんにちは」「元気?」「お天気がいいね」といった決まり文句で構成されている層。人間が本格的な出会いをする前に安全を確認する、挨拶の層。個人的なものは何もない。
2.役割の層
自分はどこの組織のどういう立場にいて、家庭に帰るとどういう立場だ、という層。
決まり文句の層と役割の層にいればまっとうな人間として 安全に、らくにやっていける。
3.行き詰まりの層
1,2の層を超えると自分はいったい何をしているのだろう、自分は誰なんだろうという疑問が起こってくる。決まり文句と役割が消え、自分をふり返ったとき、自分が誰であるかはっきりせず空虚な感じがする層。
この行き詰まりの層にぶつかると大半の人が引き返してしまう。自分が誰でもないことに直面するのが怖いので、役割の層へ戻ってなんとか辛さを回避しようとする。
ゲシュタルト・セラピーではここを突き抜けるよう導く。
4.内破の層
死のイメージがまとわりつくそう。死そのもの、死の恐怖が出てきやすい。近親者の死や自分の死など、いたたまれなくなる。
行き詰まりの層から引き返さないでもっと深く自分は誰かと問い詰めていったときに出てきやすい層。
実存的恐怖と呼ばれる、突然意味もなく心臓がどきどきして、今にも死ぬのではないかとか、死が自分のすぐ近くにあるような感覚が襲ってきて、身動きが取れなくなることがあるが、それは何等かのきっかけで決まり文句と役割の層がはずれて行き詰まりの層を突き抜け、内破の層にふれてしまったようなときに起こる。
5.外破の層
ゲシュタルト・セラピーではこの外破の層にぶつかったときに初めて、本当の自分に触れるという。人間性心理学でいわれる自己実現の層。ここに本来生を秘めた「真の自己」がある。
この外破の層は四つの段階に分かれている。
1)悲しみ
2)性的な抑圧
3)怒り
4)喜び
自分の内面を覗くとおおむねこのような展開になるが、これらを表現してしまえば、未解決の問題に引きずられず、いま、ここにいる本当の自分にふれていくことができる。
この段階まで来たからといって、その人が未解決の問題をずべて解決したというわけではなく、いくつかの問題が残っていたとしても、その問題に引きずられない状態になっている。
私が真の私でいる状態は外からみて成功かどうかは関係ない。「今、ここ」にいるかどうか
今、ここにいるというのはどういう意味でしょうか?
仏教の教えでも「今、ここ」が問われます。
キリスト教でいう「罪」は悪事だけではなく、「的外れ」という意味もあります。つまり「今ここにいない」ということ。
「どういうこと?いつも今ここにおるやん」
そう、確かに身体は常に今、ここにあります。
しかし意識はどうでしょうか?
例えば人の話を聴いている時に(今夜の晩御飯何にしようかな~。)と考えている。この状態は「今ここにいない」です。
真剣に耳を傾けている状態が「今ここ」です。
他にも、仕事をしていて「早く帰りたい」という思ってしまう。目の前の作業ではなく家に帰りたいという気持ちになってしまっているので「今ここ」ではありません。別のことに意識が向いてしまっています。
あるいは、例えばチケットもらったからと興味のないスポーツ観戦に誘われ、正直に「誘ってくれたことは嬉しいけど興味がない」と言えず、「本当は行きたくないな」と思いながら一緒に行くというのも「今ここ」ではありません。
このように、現時点で直面している状況に関係のない、意識が過去や未来、別の場所に向いている状態は、「今、ここ」にいないということになります。
どうして「今、ここ」にいれないのか
これは過去に体験した「未完結の問題」に影響されているためなのですね。
どうして目の前の人の話を聞いていて晩御飯のことが気になる?
どうして目の前にある仕事に集中できない?
どうして誘ってくれた友人に本当のことが言えない?
明らかに原因はこれだとわかるトラウマや心の傷とは限らなくても、このような一見些細な事であっても、突き詰めていくと過去の未完結の問題に行き着くのです。未完結の問題というのは、
本当は〇〇したかったのに、できなかった。
本当は〇〇したくなかったのに、やらされた。
という風に本心とは違う振る舞いをせざるを得なくなり、その時本当に感じていた気持ちを誰にも受け止めてもらえずに心の奥に追いやったものを言います。
そういうものが多ければ多いほど、別のことに心がとらわれますから「今、ここ」にいることが難しくなってきます。
「今、ここ」にいられることが増える=本当の自分に近づいているということ
自己一致とも言いますね。
自分にうそをつくことなく、「今、ここ」でいられる状態。
「好きなこと、やりたいことで生きていく」というのは「今、ここ」で生きている状態です。
その状態、本来の自分、素の自分に近づいていく道筋がゲシュタルト・セラピーでいう「自覚の層」という上記の5つのプロセスです。
一直線で進んでいけるのは珍しくて、進んだり戻ったりを繰り返し、ちょっとずつ前進していく場合が多いということ。
というのは次の段階に行こうとする際はそれを妨げるような「抵抗」の感情が現れてきます。それに負けてしまうと逆戻りします。
「潜在意識の揺り戻し現象」とも言われているものです。
段階を「超える」というより、一つずつ統合しながら次に進んでいく
「超える」という表現からは、一つの段階から次の段階へ場面ががらっと変わるようなイメージがあるかもしれません。
そうではなく、前の段階のものをちゃんと自分のものにして、次に進むということです。
「挨拶の層」「役割の層」の自分を捨てて次にいくのではなく、それらも使いこなせる、自分の中に統合させてさらに次に行くということになります。
ですから自己実現が進んだ人、「今、ここ」に生きている人というのは5つの層すべてがその人の中にあり、すべての階層の自分を生きることができるのです。
「自己実現」の道筋を把握していれば、今いる段階から次に行けるという安心につながる
本当に私はやれるのだろうか
いつになったらやりたいことで生きていけるのだろうか
このような不安や心配、自分への信頼の欠如などの感情を抱くことも多いでしょう。
しかしちゃんと道筋はあるのです。
そして段階を超えようとする際には、そうさせまいとする「抵抗」が起こってくることが多く、そこでひるむと逆戻りしてしまうということ。
逆戻りしたとしても、そこからまた自分の道を目指せばいいのです。
だってもう我慢はしたくないし、偽物の幸せでは満足できない、自分だからこその人生を生きたいと思っているのでしょう。
死ぬような恐怖に直面するとしても、超えられると信じて突き進むのです!
死んでも生きても絶対大丈夫!支えてくれる存在は必ずいて、その先にいるのは本来のあなたです!
以上、読んでくださりありがとうございました。