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なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ 

♪なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないまま おわる そんなのはいやだ!♪

アンパンマンマーチですね。

この歌は本当に本質をついているとおもいませんか。

関連記事:アンパンマンの歌の歌詞に元気をもらってます「アンパンマンのマーチ」

あなたは何をして喜びますか?

心がクリアになるにつれ、何に対して喜びを感じるのかが、変化していきますね。

心の中にノイズやブロックが多いと、対して喜びでないものが喜びであるように勘違いしてしまうこともあります。

欲求を満たしているのになかなか心がらくにならない、満足が得られない、生きづらさが抜けないというのは、うわずみに上がってきた部分のみに対処しているから。

欲求の根っこがまだ解決していないのですね。

 

1.あなたにとって何が喜びなのか~自分を知ること 

2.その喜びを感じて良いと許可すること 

 

希望欲求叶えてあげることが大事

なんだけど、その途中で誰かに邪魔されたり禁止されるということが起きる。

本当の意味で、自分で自分の本心を受け止めることができたら、邪魔されたり禁止されることは止まる。

例え邪魔されたとしても、自分の欲求を貫き通すパワーがわいてきます。

自分の中にメンタルブロックがある場合、

「あなたは喜びや満足を感じてはいけない」

「希望や欲求を抱くこと自体を否定される」

という風に、

自分の本心本音に従うことよりも、

夫や親など他人の欲求に納得いかないまま従うことになります。

 

例えば私の場合

子ども時代に髪の毛を伸ばすことを禁止されていました。

保育園年長、5歳の時、髪の毛を伸ばしていました。長さは鎖骨のちょっと下くらいでしょうか。女の子らしい見た目が好きで、「卒園式にはポニーテールにする」という夢を抱いておりました。

しかし、もうすぐプールが始まるから、それに短い方が似合うからという理由で6月にショートにされてしまいます。

卒園式の時までに伸びるからいいか、と私も納得した記憶があります。

切る際には私自身「こんな感じのショートで」と明確な希望がありました。

前髪は薄くふんわり、横は耳が見えるくらい、後ろは長くなど当時の女性アイドルがやっていた髪型を希望していたのです。

美容師さんにも伝え、確かにその通りに切ってもらいましたが、抱いていたイメージとは全く異なり、テンションダダ下がりです。

全然可愛くない。

全然あかん。

なにこれ。

って感じでしたが、内気だったので不満も言えず。

それでも、卒園式までには髪の毛が伸びてポニーテールができるのだという希望を抱いておりました

しかしその希望も叶わず、結局「長いのは似合わんから」と言われ、卒園式はおろかその後高校を卒業するまで髪の毛は伸ばせずじまいでした。

もっというと、初めてちゃんと長さのあるロングにしたのは36歳の時です。

小学校時代は何度も何度も「髪の毛伸ばしたい」と親に訴えました。

時には「誕生日プレゼントいらんから髪の毛伸ばさせて」

と。

似合わんからあかん、と。

似合わないのは当たり前。

男顔だからなのです。

それは自分でもわかっていて、伸ばしたとしても髪の毛をおろすことはないと思っていましたし、

伸ばしてヘアアレンジをすれば前からみると顔回りの毛の量は「ショート」とあまり変わらないのですけどね。

「ショートの方が似合う」と親が言うのであればまとめ髪も似合うはずなのです。

長い髪の毛が顔の横にある状態が親にしたらNGだったので。

5歳以降、男の子に間違われることが普通でした。

私は自分の意に反してイヤな髪型とさせられ、おまけに男の子に間違われる。

しかも親もそのことに関しては怒っているのに、髪の毛を伸ばすのはダメ。

親はショートでいる私が可愛いと思っていたみたいですが、私にしたらぶさいく過ぎ。

子ども時代の写真はいまだに誰にも見せたくないです。

全然可愛くない。可愛い写真がほとんどない。1枚か2枚。

 

このことは今後のメンタルブロック形成に大きく影響したと感じています。

本当に叶えたいことはなかなか叶わないのではないか、

願いを抱くことすらダメなのではないか、

と。

欲しいものがあったとして、手に入らない理由に「値段が高いから諦める」というのであればまだ納得がいきます。

私の場合は欲しいものといっても極端に高いものを欲しがることもなく、たいてい買ってもらっていました。

習い事などもさせてもらっていました。

そういう部分での苦労はなかったのですが、髪の毛は自分の見た目に関わる「コア」な部分です。

自分の身体の一部ですし、周りの子は髪型を自由にさせてもらっているのに、どうして私はダメなのか。

こんな普通のことすら望んではいけないのか、と本当に悔しい思いを抱えておりました。

私は女の子らしくしてはあかんのね、と。

物を手に入れることよりも、自分の見た目というのはアイデンティティそのものです。

自己否定の気持ちが強まって当然です。

自分で自分の見た目を肯定できることは、日常のあらゆる面での成功を形作る土台でもあると思います。

そこを親や他人に否定され、自分の理想や希望を押しつぶされることが長年続きました。

大人になると髪型のことはさほどこだわらなくなりましたが、

核となったメンタルブロックが別の面で作動するようになるのですね。

 

これは気が付かなかっただけで、10代、20代という若い頃もずっと作動し続けていました。

冒頭にも書きましたが

「喜びを感じていいと許可できない」のです。

※今ではずいぶんと癒されました。

小さな喜びや元々こだわりのない、叶っても叶わなくてもどっちでもいいような願いが叶って嬉しい、とかはあるのですが、本当に叶って欲しい願いに対して許可が難しい。

「似合わんから」という親の意見ですが、これは娘である私の幸せよりも、世間の目を気にした意見です。

どうして私は自分の本心ではなく、親の「他人にどう見られるか」という痛みに私の方が理解をしないといけないのか。

 

大人になった今でも、程度は軽くなったとはいえ、似たような出来事に遭遇します。

自分にとって結構大事なことなのに、本心ではなく、我慢をして他人の言うことに従ってしまう。

どうしてそうしてしまうのか。

そうしてしまう理由はなにか。

理由は人によって異なるでしょうが、私の場合は人とぶつかった場合、一時的にお互いに不機嫌な状態が続く、それがイヤで避けているのかも?と。

お互いに不快な感情を抱くのであれば、問題と直面するよりも、表面的な平和を選んでいるのではないか?

また、「私の本当の気持ちはどうせわかってくれない」

と相手に対し諦めの気持ちや、

相手に対する信頼の欠如、

さらには「私の本当に伝えたいことは伝わらない」という

自分への信頼の欠如があるのかも?

「髪の毛を伸ばしたいという気持ちそのものを聴いてほしい」

「伸ばすこと云々よりも、女の子らしいのが好きという気持ちをわかってほしい」

自分にとって大事であるほど、気持ちを伝えることに許可ができない。

事実や情報を伝えることはできても、気持ちの開示が難しい。

「辛い、悲しい」と言って「辛いんだね、悲しいんだね」とそのまま寄り添ってほしいのに、

それが叶わない。

ここは本当にじっくり丁寧に向き合うところですね。

 

いつも言っていますが、心に抱えているものが外の世界に反映しています。

まずは自分で自分の本当の本当の本当の望みを聴いてあげることですね。

何を望んでいるのか。

何が喜びなのか。

どのような状態の時に幸せを感じるのか。

「こんなこと思ったらダメ」と否定してはいないだろうか

「本当は好きな人を頼りたいし、その人の胸で泣きたいのではないか」

「甘えたいのではないか」

インナーチャイルドの傷を抱えている場合、親にしてほしかったことが叶っていません。そのため、本当は親にしてほしかったことをパートナーや他人に求めたりします。もちろん自覚がないことがほとんどです。

このような場合、パートナーその人自身を見ているのではなく、親の代償行為をしてくれる人として期待や欲求を抱きがちです。

他人を自分の思いに従わせたいというのは、またインナーチャイルドの傷を繰り返すことになります。

「もっと〇〇してよ」とか。

 

ですから、他人に思いを伝えるのであれば、純粋に「私はどう感じているか」という「私の気持ち」にフォーカスすることが大事です。

「あなたに〇〇してもらったら私は嬉しい」という風に。

「もっと〇〇してよ」と命令形になったら強制されているように感じてしまいますが、「〇〇してくれたら嬉しい」という伝え方であれば「あ、そうなの?」と受け入れやすくなります。

1.あなたにとって何が喜びなのか~自分を知ること 

2.その喜びを感じて良いと許可すること 

 

上記の1,2を本当の意味で受容できていたら、他人に伝えるのはスムーズにいくでしょう。

自分の心が他人という鏡に写っているので。

自分が自分に優しくなれば、他人も同じように優しく接してくれるようになります。

他人があなたに厳しいのは、あなたがあなたに厳しいのです。

結局は、自分に思い切り優しくすることに尽きるのですよね。

私の場合、子ども時代の髪の毛を伸ばしたいという願い。その根っこにあったのは「女の子らしい格好が好きな私を受け入れてほしい」というもの。

それは「女性として大切にしてほしい」という自分の存在そのものを受け入れてほしいというコアな欲求に繋がるのです。

そして色々と欠点もあるけれど、長所もある「こんな私」の存在そのもので、他者に喜んでもらいたい、役に立ったらたら嬉しい、という願いに繋がっていきます。

♪なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないまま おわる そんなのはいやだ!♪

いつも意識していたいです。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

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