本当はやりたくないのにやめられない
やりたいこと、好きなことをやったらいいという話をすると、何がやりたいのか、何が好きなのかわからないという人は結構います。
しかし、そのような方たちも、あれはやりたくない、これは嫌いだからやめたいということはわかっていることが多いです。
心の奥では「やめたい」「やりたくない」と思っているのに、やめられない苦しみ。
なぜやりたくないことを続けているのでしょうか?
やめることによるデメリットの方が大きいと無意識に思っているからですね。
確かに、何かを断るとか、やめる決断を相手に伝えるのは、勇気のいることですし、一時のストレスを強く感じるでしょう。
やめてみた後で得るメリットの方が大きいかもしれないのに、やめたら大変なことになる、と思うからやめられない。
特に仕事や結婚生活など、本当はもう終わりにしたいと思っていてもなかなか勇気がでないものです。
多くの場合、現状維持を続けるためだったり、これ以上悪化しないようにするためという理由です。
他人の目を気にし、他人の期待や要求に応えるために、本心を犠牲にしています。
例えば、親の期待に応えて一生懸命勉強し、大学に入ったけど、学んでいる内容に全く興味がわかない、ということもありますよね。
お金を出してもらっている立場なら、やめたくてもやめにくいですよね。
大学の場合は4年間なので、期限がわかっている分ちょっとは気楽かもしれません。
もしかしたら、途中で認識が変わって授業が面白いと感じるようになるかもしれませんし。
そうはいっても、親の機嫌を取るためにやりたくもないことをやっている時間はしんどいです。
親の方は「子どもがちゃんと自立して生きていけるように」という願いを抱いているわけですが・・・。
それが純粋なものではなく、子どもの将来が不安で、好きにさせたら将来どうなるかわからないから、その不安を解消させるために
子どもを自分の理想に当てはめている場合、子どもは息苦しくなってしまいます。
子どものことを信頼し、見守っているわけではなく、それは「監視」であり、「親自身の不安の解消」だからです。
他にも例を挙げると不安を解消するために恋人の行く先をいちいちチェックするという行動も同じですね。
数時間毎にしたくもない連絡をさせられたり。
恋人に連絡したくてするんじゃなくて、連絡しないと相手が不安になるから、やっているという状況です。
他には介護あるあるです。スピリチュアルケアをやっていると介護関係者の知り合いも多くなります。
よく耳にするのは、介護が必要な方の家族さんが、介護サービスに対して自分の理想や要求を押し付けてくるというもの。
特に一生懸命介護をしている家族さんが、他の人のやり方ではダメだと文句を言ってきたり、サービスの枠を越えた細かなことも要求してきたり。
他の家族のメンバーにも同じように自分と同レベルの世話を要求するのでうまくいっていない場合が多い。
こう書きながら、私は経験者なので家族側の立場なのですが、私の話をします。ここから先は身内に読まれたらちょっと気まずいので後日削除すると思います。
約2年間義母の介護をしていました。私一人ではなく兄弟で当番制にしてなので、負担そのものは軽かったです。しかし後半はストレスが募り。
義母の介護やお手伝い自体は本人ができないことをサポート、快くやっているのに、義理の妹がそれ以上の要求をしてきたり、おかずの種類も指定されたり(冷蔵庫に食材がいっぱいあるのに新たに魚を買ってきてと言われたり。義母の携帯の着歴を見て、兄弟の中の誰が電話をかけていないとか少ないとか。)。
義母のことを考えてはいるのでしょうけど、それよりも自分の不安が強く、それを解消するために夜中でも義母の家に行ったり、介護当番の担当ではない日も来ていたり(当番担当の者にとっては自分が信頼されていないのでは?と感じてしまう)、毎回「ご飯ちゃんと食べてる?」の電話があったり。
ヘルパーさんへの要求も強く、ケアマネさんからクレームがあったそうです。
自分の不安が強いから、何度も確認したり、見に行ったりと、何度もするのでしょうね。そして周りをもその不安を解消するために使う。
今回のタイトル「やめたいことをやめる。私は誰かの不安を解消するためにいるんじゃない」は私の本音なのです。
夫の両親もDVとか昔色々あったようで、小さな子どもだった義妹たちはトラウマが残っていて、愛着障害を抱えているのでしょう。
だから義母がどうなるのか、大丈夫なのか、という気持ちを小さい頃から抱えているのだと思います。
不安が強くなって当然です。
ある意味理解はできるのですが、私はその不安を解消するための人間ではないのです。
「こんな風に不安なんだけどどうしたらいい?」という相談には乗ります。
むしろこう言ってくれれば快くいられたのに。
「あれやってこれやって」という不安からの要求に応えるのは違うのです。
下部に関連ページのリンクを張りましたが、自分でこの方法をやって潜在意識を整え、自然とやめられる方向へ持っていきました。
自分がやらなくてもいい、やりたくないことに時間を費やしていたら、あっという間に死を迎えます。
誰かの不安を解消するための行為、それはたいてい負担感がつきまといますね。期限がわからないものであればなおさら。
同じ「耐える」ことでも、自分を生かさない「我慢」ではなく、生かすため・開花のための「忍耐」を選びたいです。
小さなことからやめていく
いきなり「仕事を辞める」「離婚をする」など大きなことはハードルが高いですね。
やめるハードルが高いものではなく、小さなことからやめていく「実績」を作っていくことで、
次は中くらいのもの、次も中くらいのもの、次は中くらいよりややハードルが高いもの、と徐々にステップアップしていくでしょう。
今日もお読みくださりありがとうございました。
「やめる」と決断しても周囲が許してくれないだろうな、という場合。
周りに直接働きかけるのはかえって逆効果になったりしますよね。
先に自分の潜在意識を整え、「やめた状態」に先に自分がなってしまうのです。
未来の自分を先取りし、あとはセルフケアをするなり、好きなことをするなり、自分の内面を整えていく。
すると周りの状況も整い、やめられる状況が作られます。